2011年6月14日火曜日

こんな所にも。

さて、本日はお散歩。そろそろ散歩にはいい季節です。

リュクサンブール公園にも人が一杯です。


子供の遊び場もあったりして。テニスコートとかもありますし。


日向ぼっこも良いですねぇ。今はこうして普通に座れますけど、昔はこの椅子は有料で、座っていると集金人が回って来たんだとか。コゼットをつれたジャン・バルジャンもこんな所を歩いたんでしょうか。


玩具の船を貸し出す商売もあったんだそうです。噴水(?)の向こうに見えているのはリュクサンブール宮殿、嘗てのマリー・ド・メディチの宮殿です。現在は国会の上院にあたる元老院が使ってます。図書室にはドラクロワの壁画があったりして、年に一度、歴史的記念建造物を一般公開する日には見学者が行列してますね。
フランス革命当時、ロベスピエール派だった画家ジャック・ルイ・ダヴィッドは、ロベスピエールの失脚に伴ってリュクサンブール宮に幽閉されていた時に、風景画を描いてますね。基本的に人物画家だった彼の、純粋なる「風景画」で現存するものは恐らくこの時の一点だけです。

ここにもありますよ、アラゴのメダル。まぁ、パリを縦断してるんですものね。

で、公園の西端の方へ良くとこんな物が。

「自由の女神」と呼ばれてますけど、正式には「La Liberte eclailant le monde」(世界を照らす自由)なんですね。プレートの文面は
「1900年の万国博覧会の折に、彫刻家オーギュスト・バルトルディはニューヨークの自由の女神を作るのに使ったブロンズ像をリュクサンブール美術館に寄付した。この像は1906年、リュクサンブール公園の中に置かれた」
となってますね。
パリには他にもいくつかの自由の女神像があります。

そして、自由の女神像のすぐ隣には一本の木があります。

周りに沢山ある大木と違って、まだまだ若い木です。この木に添えられたプレート。

『この樫は、アメリカの、2001年9月11日の犠牲者達への追悼に捧げられた。フランス=アメリカの友情の証としてパリのアメリカ人達によって寄贈され、2002年1月30日にクリスチャン・ポンスレ元老院議長により、在仏アメリカ大使ハワード・リーチ、フレンチ・ヘリティジ・ソサエティ/FVMF会長トゥール・ドーヴェルニュ女候、フランス上院フランス=アメリカ友好委員会委員長ポール・ジローの臨席のもと植樹された。』

フレンチ・ヘリティジ・ソサエティというのは1982年に、フランスとアメリカにあるフランスの歴史・文化遺産を保護する為に設立された団体です。FVMFというのはFriends of Vieilles Maisons Francaises フランスの文化財や歴史的記念建造物を保護する団体で、1958年に発足してますね。(…の事だと思います。頭文字しかないから調べたって確認しようが無いし。プリンセス・トゥール・ドーヴェルニュもそうです。トゥール・ドーヴェルニュ家は侯爵家ではありますが、なんで“プリンセス”なのか?)
フランス人さんには苦も無くわかる事なのかも知れませんが。まぁ、それはともかく。

何気無く散歩する公園や、毎日使う地下鉄や、街の通りに、いろいろなモニュメントが隠れてますね。

0 件のコメント:

コメントを投稿