昨日、サン・ヴァンサン・ド・ポールについては別のネタがあるので続く、としましたが、その続きの部分です。
この「サン・ヴァンサン・ド・ポール」(聖ヴィンセンシオ・ア・パウロまたは聖ヴィンセンティウス・ア・パウロとも)さんも大変な人生を送った方ですねぇ。WIKIによると海賊に攫われて奴隷として売り飛ばされ、チュニジアから脱走してフランスに戻り、さらにローマで修行した後パリに戻って、それからはアンリ四世の妻マルグリット・ド・ヴァロワに仕え、クリシーの教区司教を経て、ゴンディ家に仕えるようになってからは、ゴンディ家の援助の下、様々な救済活動を繰り広げたんだそうですが。
で、昨日は不勉強にもおっさんの意訳で書いてしまいましたが、「Filles des Charite」はどうも「愛徳姉妹会」(または「愛徳修道女会」)を指す様ですね。サン・ヴァンサン・ド・ポールが聖ルイーズ・ド・マリヤックと共に創設したんだそうです。
そして、この聖人の名を冠した教会がパリにありますね。やっぱり出て来るペール・スターク。
この教会はサン・ヴァンサン・ド・ポールに捧げられ、彼が生き、活動した地区を見下ろして建っている。教会は1824年からジャン・バティスト・ルペールによって建てられ、彼を補佐した娘婿のイットルフは工事現場で重要な役割を果たした。バジリカ構造の建物は、非常に独創的な宗教建築の偉大な成果を見せている。ギリシャ時代の形式をとった正面列柱の上、ルブッフ・ナントゥイユの彫刻による破風は、彼の功績を象徴する人物像に囲まれたこの聖人への賛美である:伝道士、徒刑囚、子供や病人に献身する愛徳姉妹達。内部では、1848年から1853年にかけてヒッポリット・フランドランによって身廊の回り、列柱の上階と下階の間に描かれた、内陣へと向かう160人の聖人・聖女達を表す帯状装飾がある。後から付け加えられた後陣にある聖処女礼拝堂の装飾は1885-1888年の、ウィリアム・ブジュローの手になるもの。祭壇の十字架受難像はリュードの作。
リュードさんは凱旋門やマドレーヌ寺院にも作品を残してますし、イットルフさんは北駅、ル・グランドホテル、シルク・ディヴェールなんかも設計してますね。有名な観光地にはなってませんけど、なかなか凄いメンバーの力作なんですねぇ。
本当に、何て事無い町の教会が実は凄かったりするんですよね。こういう所に人口の七、八割をカトリックが占めるというキリスト教国フランスの底力を見る様な気がするのはおっさんだけでしょうか。
他にも、町に埋もれているこういう教会とか劇場建築とか色々あります。建築に限らず、壁画とか装飾とか。これもまたぼちぼちと紹介して行きたいと思っとります。
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