2011年6月2日木曜日

How many times must the cannon balls fly before they're forever banned?

ボブ・ディランで始まるのは二回目ですね。(前回は3月23日でした)

で、何でいきなりこの歌詞かと言うと、アンヴァリッドの前の大砲を見てたら、ふと思い出したからです。アンヴァリッドの前にはこんな大砲が展示されてます。ナポレオンはこんな大砲を使ったんでしょうか。
アンヴァリッドには現在、軍事博物館があり、この大砲もその展示の一部なんでしょう。他にもアンヴァリッドには「オルドル・ド・ラ・リベラシオン博物館」(第二次世界大戦でフランス解放に貢献した人や団体に贈られる「オルドル・ド・ラ・リベラシオン勲章」の博物館)や「現代史博物館」(国際現代史資料館に付属する博物館)がありますね。元々軍人さんの為の施設であり、今でも傷痍軍人さん達が生活しています。

さて、毎度お馴染みペール・スタークです。
17世紀までは、年老いた古参兵や傷痍軍人に対して援助の手を差し伸べる事は全く考慮されていなかった。1670年、ルイ十四世はリベラル・ブリュアンによって提示された設計による王立廃兵院の建造を命じた。1674年、最初の収容者達がここに落ち着き、厳しい生活規則に則った生活をした。入居者は4000人程で、その一部はルーヴォワによって開かれたアトリエで働いた。医務室は300人の患者をケアする事ができ、「慈悲の娘達」が治療に当たった。精神生活はラザリスト達に委ねられた。現在、幾つかの博物館と国防省がこの建物を使っており、「国立廃兵院機構」がルイ十四世の福祉事業の継続を担っている。

しかし、アンヴァリッドと言えば誰もが思い浮かべるあの金色のドーム屋根、そしてナポレオンの霊廟の事は触れられてませんね。う~ん、ひょっとしたら裏側(表側が軍事博物館、裏側がナポレオン廟になってます)にもうひとつペールがあるんだろうか。今度見に行こう。

さて、ペール・スタークの解説の中に出て来た「慈悲の娘達」と「ラザリスト」は少々解説が必要かも知れませんね。「慈悲の娘達」と言うのはおっさんの私的な意訳ですので、正式には何と訳されているのか存じません。フランス語ではFilles de la Chariteといいます。filleは娘の事、Chariteは英語のチャリテイーに当たる言葉で、まぁ日本でこの言葉が主に使われる「困っている人を助ける事」「その資金集めにノーギャラでイベントを開催する事」という事よりも、もっと単純に「隣人愛」とか「思いやり」「慈悲」という色合いが強い言葉ですね。
Filles des Chariteはどちらかと言うと俗称ですかね。本来は「サン・ヴァンサン・ド・ポールの尼僧達」(Sœurs de Saint Vincent de Paul)というらしいですが。

サン・ヴァンサン・ド・ポールが創立したもうひとつの団体がCongrégation de la Mission、「伝道修道会」とでも訳しましょうか。この修道会の修道士さん達の一般的な呼び名が「ラザリスト」です。

ま、サン・ヴァンサン・ド・ポールに関してはまた別のネタがあるので、続く、としておきましょうか。で、解説の中に出て来たもう一つの名前、「ルーヴォワ」について。ルーヴォワはアンヴァリッド建築総監であった人ですね。このルーヴォワさんは、アンヴァリッドの幾つかの場所に自分の紋章を取り付けたのですが、これらはルイ十四世によって取り外されてしまいました。そこで考えたのが、露骨に自分の紋章を取り付けたのでは、何でも自分が一番でないと気が済まない王様の怒りを買ってしまう、だからこっそりやろう、と言う事ですね。
彼の名前はフランソワ=ミシェル・ル・テリエと言うのですが、一般にはルーヴォワ候の名で呼ばれています。この「ルーヴォワ」と言う名前を二つに分けて、「ルー(loup)」(狼)「ヴォワ(voit)」(見る)と言う事で、アンヴァリッドの中庭の小窓の一つに、「狼が見ている」飾りを付けたのでした。
この、「狼が見ている」小窓を、さぁ、見付けられるでしょうか?パリ旅行を計画中の方、チャレンジしてみてください。

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