2011年6月29日水曜日

コラボ。

この言葉はフランスではあんまり良い言葉ではありません。日本ではコラボレーション、何かと何かの(或いは誰かと誰かの)コラボ、という感じで、協力して、ジョイントして何かをする事ですね。フランスでは「コラボ」と言えば「コラボラター」(協力者)の意味があって、これは第二次世界大戦中、占領時代にナチスに「協力」した人、団体を指していました。転じて内通者、スパイ。現在でもすぐ告げ口する様な子供は「あいつはコラボだから」なんて周りから言われたりするそうです。

で、今回はその意味のコラボとは関係ありません。古さと新しさのコラボ(日本的意味での)。

サン・トーギュスタン教会です。この教会の前にもジャンヌ・ダルク像がありますよ。


サン・トーギュスタン教会の建築が1860年から1871年にかけて。ちょうどナポレオン三世時代ですね。ジャンヌ・ダルクは1412年から1431年、とは言っても実際活躍したのは1429年以降ですが。
前回紹介したサン・ドニ・ド・ラ・シャペル教会は、実際にジャンヌが立ち寄ったとされている所で、言わば「縁の地」ですが、ここはどうなんでしょうね。まぁ、1429年、パリ奪還の為にパリ郊外サン・ドニに陣を敷いたジャンヌは、パリの西側を目指します。当時のパリはまだ小さく、シャルル五世の城壁に囲まれていた時代です。その頃はルーブル美術館周辺がパリの西端でした。そしてジャンヌはそのルーブルの近くで負傷する訳ですから、北からパリを西回りに迂回して現在のサン・トーギュスタン教会の辺りを通った可能性は十分あるとは思いますが。


このジャンヌ像は珍しく剣を振りかざしてますね。大体ジャンヌ・ダルク像と言えば旗を持ってるのが多いんですが。

大天使ミカエルのお告げを聞き、ロワール川近くのシノン城へと王太子シャルル(後のシャルル七世)に会いに行ったジャンヌですが、シャルルはジャンヌの事なんか全然信用してません。
「はぁ?17歳の農家の娘がフランスを救う為に立ち上がった?何だそりゃ?」
という事になりますわな、そりゃ。

で、王太子としては、「こいつちょっとからかってやろうか」という気になったんでしょうね、ちょっとしたイタズラを仕掛けます。王座には王太子の扮装をさせた偽物。王太子本人は家来の扮装で、家来の群れの中に紛れていました。
ところがジャンヌは偽物には見向きもせず、本物の王太子を一目で見抜き、本物に向かって「貴方こそ本当のフランスの王になる方です」と告げたと伝えられますね。
この瞬間、王太子は二つの事を悟る訳です。

その一。「これは本物だ」
当然ジャンヌは王太子の顔は知りません。王座にはそれらしい偽物。王太子本人は家来の扮装。周りは似たような格好をした家来で一杯。その中で本物を一目で見抜いたと言う事は、これは神様のお導きに違い無い。大天使のお告げ、神様のお導き、これは本物だ、と。

その二。「自分は正統の王太子なのだ」
当時、イギリス派のブルゴーニュ公と結んだ母后イザボー・ド・バビエールは、もうフランスをイギリスに差し出す気に半分なりかけていたんですね。その為には王太子が邪魔です。だからイザボーさんは、「王太子シャルルは不倫で出来た不義の子である」と言う噂をばら撒いて、王太子を廃嫡しようとしてたんですね。で、イザボーさんという女性の人柄からして、これは大いにありそうな事だった為、周りも「火の無い所に煙は立たない」と思うし、王太子もその事で悩んでました。ところが、大天使のお告げの、神様のお導きの聖なる少女が、言わば神様の使いが自分に向かって「本当の王だ」と言ってるんですから。

王太子に認められたジャンヌは、やがて聖職者達や裁判所の取調べの結果、やはり本物と認定されました。ジャンヌには一頭の白馬と、特別製の甲冑一式が贈られたそうですが。当時の普通の甲冑は60から80㌔ありました。ジャンヌの甲冑は特別で25㌔。普通の半分以下ですが、それでも25㌔。重くて持ち上げるのに苦労するスーツケースがその位の重さですね。そんな重さの甲冑を着けて、18歳の女の子が戦場を駆け回る事が、果たして可能でしょうかね?

さて、それでも戦場を駆け回ったジャンヌですが、神様の使いですから、基本的には「人殺し」はしたくない。そこでジャンヌはよく旗持ちをしてたそうですね。
というか、ジャンヌは本来農家の娘です。別に戦闘訓練を受けている訳でもなし、経験もありません。物理的な戦闘能力より、ジャンヌの存在意義は「旗持ち」つまりは象徴だったんですよね。そりゃ、神様の使いが先頭に立って軍を率いるんですから、士気も上がろうってもんです。

そんな事で、旗持ちでなく、剣を振りかざすジャンヌ像は割と少数派なんですね。

で、この「少数派」ジャンヌと「コラボ」するのはサン・トーギュスタン教会。サン・トーギュスタン、日本語にすれば聖アウグスティヌスは神学者で、「拍手を。お芝居は終わりだ」の辞世の言葉で有名ですね。


教会の方は、第二帝政時代に建てられました。外見も立派ですけど、中も凄いですから、パリにおいでの予定の方は覚えといて下さいね。まぁ、外壁が大分黒ずんでますけど。これはこの教会のすぐ脇を通る道路の交通量の多さ、排気ガスの凄さと共に、街の教会(有名な観光地でない教会)を維持する事の難しさを物語ってますねぇ。

建築家ヴィクトール・バルタールによって建てられたこの教会は、この頃流行の「エクレクティック・スタイル」(複合様式)で、ローマ風デザインとビザンチン風デザインを「コラボ」させた物ですね。

そしてこの教会に隠されたもうひとつの「コラボ」。この教会は鉄骨の枠組みと石積み建築が同居する、この規模の建造物としては最初期に属するもので、中に入ると、その鉄柱の一部なども見る事が出来ますので、建築関係の方、建築ファンの方なんかには面白いんじゃないかと思いますよ。

建築様式からも、構造からも、歴史からも、これだけ面白い教会ですけど、他にも観光地としては全然有名ではない、街の教会で、やっぱり面白い教会がいろいろあるパリですから、どうですかね、どこかの旅行会社がこういう「有名でない、街の普通の教会を巡るツアー」なんてのを企画したりしませんかね。

もしあったら、行きますか?

0 件のコメント:

コメントを投稿