さて、結構久々に駅のお話。先日のイットルフさん繋がりです。
で、イットルフさんによる建築のこの駅。パリ北駅。
ロンドンまで直行便なら2時間15分で行くユーロスターの発着駅ですね。因みに以前はユーロスターのロンドン側の発着駅はロンドン南部のウォータールー駅でしたが、イギリス国内のユーロスター専用線路の整備により、現在は北部のセント・パンクラス駅になり、時間短縮と共に、イギリス北部への乗り換えも便利になりました。
ところで、英語読みウォータールー、フランス語読みならワーテルローですが、これは1815年、ナポレオンが完全に失脚する原因となった戦いですね。1812年、ロシア遠征に失敗して失脚したナポレオンですが、島流しにあっていたエルバ島から脱出、皇帝に帰り咲きます。これが所謂百日天下で、またベルギーのワーテルローでイギリス・オランダ・プロシア連合軍との決戦に破れ、今度はセント・ヘレナ島に流され、そこで亡くなる訳ですね。で、そのナポレオン没落を象徴するような名前の駅を、英仏を繋ぐユーロスターの発着駅にする所が、イギリス人さん達のブラックユーモアなんでしょうかね、きっと。
またもやお馴染み、ペール・スターク。
1845年にレノーによってサン・ラザール囲い地の跡地に建てられた最初の駅は短命だった。郊外への交通量の増大によりすぐに容量不足となり、駅は15年後に取り壊された。旧駅の正面は石の一つ一つに分解され、更にもう一階分の建物と時計台を加えてリールに再建された。現在の建物は1861年から64年にかけてジャック・イニャス・イットルフによって建てられた。フランスと外国の都市を表す23体の記念碑的な彫刻装飾(破風の彫刻がパリ)は第二帝政時代の大家達の手になるものである。1898年にダンケルク通りに向けて拡張され、その時から北駅は、それほど大きな改造を行う事無く、絶え間無く行き交う交通を支える事ができた。
サン・ラザール囲い地というのは現在のパリ10区の4~5分の1位を占めていた地区で、ハンセン病の患者さん達を隔離・治療する施設があった所です。こうした事業を行うと、国の補助を受ける事ができたんだそうで、その保護の下で商取引なんかも盛んで、大きな市が立った所でもあります。以下5月13日のサン・ローラン教会の巻に続く。
サン・ラザール、日本語で言えば聖ラザロはイエス様の奇跡によって死後四日も経ってから生き返った人ですね。その後イエス様の弟子になって、後に聖人にまでなります。この聖人はハンセン病患者さんの守護聖人でもありますね。で、サン・ラザール囲い地のハンセン病院は17世紀にハンセン病患者の減少に伴って衰退して行き、その後旧囲い地を拠点として活動したのがラザリストさん達です。以下6月2日アンヴァリッドと6月3日サン・ヴァンサン・ド・ポール教会の巻に続く。
ところで、駅の話に急に戻りますが、駅といえば現在のオルセー美術館も嘗ては駅だった建物ですね。「駅を改造して造った美術館」としても有名です。だから美術館としては少々見づらい構造であるのは否めませんが。そしてロンドンのテートギャラリーの現代美術専門の別館「テート・モダン」は発電所を改造して造られたそうですね。まぁ、展示場所不足に悩んでいたテートギャラリーが、使われなくなって廃墟になっていた発電所跡に目をつけたという事の様ですが、なんかこの辺にイギリスとフランスの間に散る微妙な火花を感じるのはおっさんだけでしょうか。「パリのオルセーが駅なら、こっちは発電所だぁ!」みたいな。
フランスとドイツも結構微妙なバランスの上に成り立ってますけど、フランスとイギリスってのもかなり不思議な関係ですねぇ。
0 件のコメント:
コメントを投稿