2011年6月16日木曜日

パリのローマ。

さて、本日はパリに残るローマ時代の遺跡。

パリ東部のモンジュ通り。一見何の変哲もない街の建物が並んでいる中に、突然こんな門があります。

中に入って行くとローマ時代の円形競技場跡があります。こんな街の真ん中に。

さて、やっぱりお馴染み、ペール・スターク。
おそらく紀元後1世紀末には、煉瓦積みの無い簡素な石積みの円形競技場が造られていた。三世紀に異民族の侵入によって破壊され、その石材はシテ島に逃げ込んだガリア・ローマ人達によって再利用された。中世の地図には円形競技場小路(?)の名の下にその痕跡が見られるが、正確な位置は1858年まで分からないままだった。1869年、モンジュ通りの開通に伴って、馬車や厩舎を置く為に乗合馬車会社が取得した土地にこの遺跡が発見され、取り壊しになりそうになった。この発見に心を動かされた人々の要望によって、再買取の申し込みがあったが、現在の状況まで修復されるのは1917年まで待たねばならなかった。

紀元前500年頃侵入して来たケルト人が先住民族と混血したのがフランス人のご先祖様ガリア人ですが、このガリアの地にシーザー率いるローマ軍がやって来たのが紀元前58年。そして、パリにいくつか、このガリア・ローマ時代の遺跡が残されてますね。南フランスの方に行くともっといろいろありますよ。オランジュのローマ劇場とか、ニームの円形競技場とか。

味のある石の階段。

ローマ時代の遺跡と、今現在、人が住んでいる普通のアパートがくっついちゃってる所が何とも言えませんねぇ。日本でこういうコラボってあるんでしょうか。日本だったら遺跡は遺跡、住宅地は住宅地ではっきり別れてる様な気がしますが。フランスってこういう所の感性というか、バランス感覚というか、アバウトさと言うか、テイク・イット・イージーな所が面白いですよね。

昔々、この競技場でどんな競技が行われたんでしょうか。何となく暫くの間突っ立って眺めてしまいましたよ。

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