2011年6月18日土曜日

"Degueulasse, c'est vraiment degueulasse"

"Qu'est-ce que c'est, degueulasse?"

「最低だ、全く最低だ」
「最低って何の事?」

そしてパトリシアはミッシェルがした様に親指で唇を撫でるのですね。

「勝手にしやがれ」(原題:A bout de souffle=息切れして、力尽きて、英語ではBreathless)はジャン・リュック・ゴダールとジャン・ポール・ベルモンドのコンビによる、1959年のヌーヴェル・ヴァーグの記念碑的作品ですね。

この作品で初めてコンビを組んだ二人ですが、それ以前は面識だけはあったものの、良くは知らないという関係だったそうですね。ある日、ベルモンドがサンジェルマンデプレのカフェ・フロールのテラスでお茶を飲んでいたら、ゴダールがやってきて、「一緒に映画を撮らないか」と言い出しました。そのときベルモンドは「こいつは実はホモで、俺の事を誘っているんじゃないか?」と思ったとか。それで逃げていたら、この映画は生まれなかった訳ですが…

ゴダールの映画作りというのはかなり独特だった様ですね。細かい指示はほとんど無かったそうで、ラストシーン、警官に撃たれたミッシェルがよろめきながら走るシーンも、ベルモンドが言うには「ゴダールはどこからどこまで、どんな風に走って、どこで倒れるとか、何も言わなかった。だから俺は道路の一番端まで走って、そこで倒れた。何の事は無い、車に轢かれたくなかったから横断歩道に倒れただけさ」ゲリラ撮影だった訳ですしね。

で、その横断歩道がここ。


ところで、この道の向こうに見えてますけど、映画の中に出て来た建物がそのまま残ってますね。http://www.youtube.com/watch?v=XEoYgXG8r-8&feature=related と比べると良くわかるかと。ミッシェルが撃たれたのはこの Campagne Premiere通りの11番地で、そこから走り始めた訳ですが、11番地から眺めるとこんな感じ。


1959年といえば日本では「月光仮面」が始まった年ですねぇ。「月光仮面」に出て来る日本の風景で、現在残っている物がどれだけあるでしょうね?

他にもこのCampagne Premiere通りは歩くだけでなかなか楽しいです。

「勝手にしやがれ」でベルモンド演じるミッシェルが倒れた横断歩道のすぐ脇、31番地bisには写真家のマン・レイ、美術評論家のレタニー、インスタレーション作家のレイノーが住んでましたし、


29番地の「イストリア・ホテル」にはピカビア、デュシャン、キスリング、マン・レイ、モデルのキキ・ド・モンパルナス、エリック・サティ、リルケ、ツァラ、マイアコフスキー…が滞在、


23番地には藤田嗣治、(ここにはプレートが無いのが悲しい)


17番地bisにはパリ風景を撮り続けた「近代写真の父」ウージューヌ・アッジェ、


14番地には「単色のクライン」と呼ばれたイヴ・クライン、


他にも居るんですけど、この位にしときます。でも、よくまぁこれだけ集まったもんですね。モンパルナスの時代、ですかね。クーポール、ドーム、セレクト、ロトンドなんていう芸術家達が屯したカフェもすぐ近くですし。この建物の中であの作品が…?なんて考えながら長々と散歩してたら背中が痛くなって来ました。どうも腰じゃなくて背中に来るんだよなぁ。

昔読んだ新聞の四コマ漫画で、
おばあちゃん「アイテテ、風邪かな、腰が痛い」
お父さん「風邪の引き始めは、体の中で一番悪い所に出ますね。僕なんか目に来ます」
お母さん「私は歯やわ」
そこへ通りかかった息子「あー、風邪かな、頭が痛い」

なんてのがありましたが。関係無いけど。

1 件のコメント:

  1. 「勝手にしやがれ」ロケ地と言うことで10年前に訪れました。
    その時は知らなかったのですが、こんなにも芸術家の足跡が残っているのですね。
    ゴダールがロケ地に選んだ気持ちがわかります。
    交差点の先にはモンパルナス墓地があり、パトリシア役のジーン・セバーグが映画の20年後に眠ることになろうとは奇縁です。

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