モンペリエ歩き第三部ですね。
街の西端のペイルー遊歩道から中心部へと歩きます。途中寄ってみたい教会とかもあったんですけどねー。今回は一人じゃないのであまり気の向くままに歩くことはできないのです。時間の制限もあるしね。
モンペリエはラングドック・ルシヨン地方の首府であり、エロー県の県庁所在地でもあります。ここは「対独抵抗運動の殉教者」広場、県庁の建物です。しかしまた凄い名前の広場ですね。
ドイツに占領されたフランスは、北部はドイツの直接支配、南部はヴィシー傀儡政権によって支配されます。ヴィシー政権のペタン主席とスペインの独裁者フランコ総統が、この県庁で会見したと伝えられていますね。
そしてこの広場は書店「ジベール・ジョセフ」の発祥の地だそうです。さすが大学町。
「ジベール」書店が、「ジベール・ジュンヌ」書店と「ジベール・ジョセフ書店」に分離・独立したのですね。アディダスとプーマみたいなもんか。この二つの書店は今でもあって、パリの学生街カルチェ・ラタンに、「教科書」(その中でも各科目に分かれている)、「漫画」、「文学」等々、各部門に分かれて何件もの店があります。
さて、今回は結構駆け足でして、次へ。
とか言いつつ市場があったりするとちゃんと寄り道するんですけどね。
とは言えじっくり眺める程でもなく。なんか中途半端だ。
そして早々に街の中心のコメディー広場に到着。
オペラ座なんかもありまして。
1888年に造られたオペラ・コミック劇場ですね。モンペリエのオペラ座は、1755年建造の最初のもの、1788に再建されたもの、共に焼失してしまいました。このオペラ・コミックは、パリのオペラ駅に代表される新古典主義様式のメトロの入り口やアレクサンドル三世橋なんかも手掛けたカシアン・ベルナールの作品ですね。アレクサンドル三世橋については昨年の6/30、オペラの地下鉄入り口については同じく昨年11/14の記事を御覧頂きましょうか。
三美神の彫刻のある噴水も見事です。
ターリア・アグライア・オイフロジーネと呼ばれる三柱の女神達は背中合わせになって踊っていますが、これは噴水の為の彫刻だからでしょうね。三柱の女神は、普通は向かい合っている事がほとんどですが、ここに限っては、向かい合ってたら、この広場に集う人々にお尻を向けちゃう事になりますもんね。
三美神については昨年5/19に書きましたのでよろしければ併せてお読み下さい。
さて、大急ぎだったけど市内の主要な所を歩きまして、こんなカフェで休憩。
それほどお腹は減ってなかったので、今日の昼食は軽めにサラダ。おっさんが注文したのはアヴェロン風サラダというもので、砂肝のサラダなんですが、結構なボリュームでした。砂肝はフランス語で「Gesier」ジェズィエといいます。パリのスーパーなんかでもよく瓶詰めとか缶詰の物を置いてますから、ちょっと重いですけどお土産にどうでしょう。オススメです。
メニューに砂肝入りのサラダを発見した途端に、もう注文する気になってましたよ。
アヴェロン地方については昨年10/9に書いてますが、さて、砂肝なんかあったかな?気がつかなかったけど。
何もモンペリエに来てわざわざアヴェロン風サラダを食べなくてもよさそうなもんだ。
「秋刀魚は目黒に限る!」とか?
ま、砂肝は大好きですし、おいしかったから強引に良しとしまして、これでモンペリエ編も終わり、今晩パリに帰ります。
またどこか出張あると良いなー、などと。
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