という訳でモンペリエ編。
ここもまた路面電車が通ってます。リヨンもナントもそうでしたが。
やっぱりエコの為なんでしょうね。
さて街の西側ペイルー遊歩道に向かうと小さいながら凱旋門があります。これも嘗ては城壁の一部というか、街の中と外を行き来する「門」だったのでしょうね。
16世紀、宗教戦争の時代には、モンペリエではユグノー(新教派)が優勢だったそうです。そしてアンリ四世によってナントの勅令(1598年)が発せられ、取りあえずイザコザは収まったかに見えました。その後ルイ十三世の時代には国王の保護の下カトリックが巻き返して来て、プロテスタントはだんだんに排除されて行きます。結局ルイ十四世のフォンテンブローの勅令(1685年、ナントの勅令を廃止する勅令)が発せられ、カトリックの支配が定着する訳ですね。
だからかどうか、この凱旋門のすぐ西側、嘗ての城壁の外側にはルイ十四世の命によって造られたペイルー遊歩道がありまして、やっぱり、「支配を確立した王様」は権力を誇示するのが大好きなんでしょうかね。遊歩道内にはルイ十四世像があります。
まぁ、生臭い歴史の事は取りあえず置いとくとして、ここは天気がいい日に散歩するにはもって来いの所です。
更に進めば噴水?じゃないな、泉水?(忍とかミノルとかカズヤとか?違うから。あれは仙水だろ。)がありまして、んー、夏の暑い時だったらこんな所で涼みたいかも。
そしてこの遊歩道?庭園?の一番端には水道橋があります。ま、世界遺産の、有名な「ポン・デュ・ガール」なんかは古代ローマのものですが、こちらはルイ十四世の支配が確立して安定した時期、フランス革命よりも少し前位に作られた物ですから、歴史的には相当「新しい」部類になりますけど。
しかし、この橋そのものより、橋の上に人が勝手に上らない様にする為の忍び返し(?)みたいな奴の方に興味を持ってしまうおっさんでありました。ひねくれてるのは自分でわかってますけど。
しかし、これだけで十分芸術品だよなぁ。
さて、庭園のすぐ脇にはこんな物がありまして。
フランス語でカルヴェールといいます。英語ならカルヴァリーですね。日本ではゴルゴタと呼びます。これはアラム語(またはヘブライ語、どっちが正しいかは調べても中々分からないんですが)をカタカナに音写した言葉です。というか一般的には「ゴルゴダ」という人の方が多いかと思いますが。カルヴァリオというのはラテン系の言葉ですが、ゴルゴタでもカルヴァリオでも意味は同じ「髑髏」を指します。
分かれ道の分かれ目なんかによく立ってます。道祖神みたいな物でしょうかね。
このカルヴァリオも掘り下げてくと面白いんですが…それは又の機会に。
ここらでまた一休み。
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