リヨンに来ております。前に来たのはいつだろう?
リヨンといえば食べ物がおいしいですねぇ。リヨンの近く、ブール・オン・ブレスは鶏肉で有名ですし、サン・マルセランのチーズとか。ポール・ボキューズの地元でもありますしね。尤もおっさんは間違ってもそんな店には行けませんが。増して日帰り出張、ゆっくり食事する暇もありませんから、今回は食べ物ネタはパス。
これは新市街の方。リヨンは新市街と旧市街がはっきり分かれていて、それぞれ全然雰囲気が違うんですよね。
ところで、今までにもいくつか出て来ましたが、パリのコンコルド広場は八角形をしていて、それぞれの角の部分に、フランスの各都市を象徴する石像があるんですが、パリから見てリヨンの町に対応する方角、つまりコンコルド広場の南東側にリヨン像もちゃんとありますよ。
因みにおっさんはフランスに来たばかりの頃、リヨン訛りが聞き取れなくて苦労しました。南フランスのイタリア語やスペイン語に近い訛りとか、訛りがフランスで一番きついと言われるストラスブール訛りにもほとんど抵抗が無かったおっさんですが、リヨン訛りがわかる様になるには何年かかかりました。
町の中心部から、旧市街の丘の上に有る聖堂を見あげたところ。
逆に丘の上から見下ろすとこんな感じ。遠くに高層ビルが見えるのが、最初の画像にあるビルですね。
リヨンの旧市街、歴史地区は1998年に世界遺産の認定を受けてますね。
絹織物でも知られてますし、金融の中心のひとつでもありますね。最初の画像の高層ビルは「クレディ・リヨネ・タワー」、リヨン・クレジット銀行のビルです。
ガリア時代から栄えた通商路でもあり、商売、食い倒れ、パリとリヨンの関係はちょっと日本の東京・大阪の関係を思わせます。
話を戻して、歴史地区、フルヴィエールの丘には古代ローマ劇場の遺跡もあって、今でもイベントなんかに使われてます。
リヨンはフランス革命中、革命派と反革命派の激しい対立があった所ですね。工業都市でもあったリヨンは、ある意味、パリよりも貧富の差が激しい所でした。フランス革命が始まると、貴族と庶民の対立に加えて、資本家と労働者の対立の要素も含んでいたリヨンの町は急進改革派と王党派・穏健改革派の対立が激しくなり、ついに反革命派による「リヨンの反乱」が勃発します。これを革命派が徹底的に弾圧し、所謂「リヨンの虐殺」が起こるのですね。
これは旧市街にあるリヨン・ペラッシュ駅。新市街の駅はリヨン・パール・デューといいます。同じリヨンの町でも、二つの駅があって、かなり離れてますからね。フランス旅行でTGVに乗ってリヨンに行こう、なんていう方はご用心。どっちの駅かよく確認してくださいね。
と言ってる間にもう夜景?出張の筈なのに仕事はどうなったんだ?いや、ちゃんとやってますって。おっさんの仕事の事なんか誰も興味無いでしょう?書かなかっただけです。
取りあえず帰りのTGVの画像なんかも。
凄いですねぇ、まぁ、営業運転は300Km/h位ですけど、実験走行では574.8Km/hですか?そのうち1000Km/h位すぐに出る様になるんじゃないですかね?ただ、これは国土の80%が平地というフランスならではの事。日本みたいな山有り谷ありの地形ではとてもこんな数字は出ませんね。
さて、そんなTGVの「2007年4月3日、鉄道による速度世界記録」のプレートをよそに、リヨンの町にはこんな標識が立ってます。「スローライフ」の標識です。
しかしこの標識のカタツムリ君、ちょっとグロくありません?少なくとも可愛くはないと思うんですが。
ではこれにてリヨン終了…かと思えばさにあらず。ここまで来ておっさんが聖堂に行かない訳無いでしょうよ。
で、明日に続く。
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