サン・ジャンも凄いんですけど、こっちもやっぱり良いですねぇ。
リヨンのシンボルと言っても良いかな。ノートル・ダム・ド・フルヴィエール聖堂ですね。
Notre(ノートル)=「私達の(英語のOUR)、Dame(ダム)=「レディ(女性の事を丁寧に言う言葉)」で、「私達の貴婦人」なんて訳されてますが、つまりは聖母マリアの事です。聖母マリアにささげた教会には「ノートル・ダム」という名前がつきます。従って「ノートル・ダム」という教会はあちこちにある訳ですね。
世界遺産に数えられているものだけでもランス、シャルトル、アミアン、ストラスブール旧市街の聖堂が「ノートル・ダム」ですし、リヨンのノートル・ダムと同じ様にマルセイユの町を見下ろす丘の上に建つノートル・ダム・ド・ラ・ガルド教会とか、数え上げたらキリがありません。
この聖堂はサン・ジャンより新しく、1872年から1896年にかけて造られました。パリのサクレ・クール寺院は普仏戦争、パリ・コミューンの乱の後、亡くなった多くの人々の弔いの為に、第三共和制(普仏戦争からナチスに征服されるまで)の門出を祝う為に、また当時沈んでいた人々の心を奮い立たせる為に建てられました。リヨンのノートル・ダムも同じ時期に建てられていますが、この聖堂の起源はサクレ・クールとはちょっと違います。普仏戦争の時、パリを陥としたプロシア軍がリヨンに迫っていました。リヨンの市民達はリヨンも敵に占領されてしまうのではないかと恐れ、リヨンを護って下さる様に神様に祈り、もしリヨンが無事だったら聖母に捧げる聖堂を建立する事を約束したのですね。
リヨンは占領を免れました。そしてこの聖堂が建立された訳です。
17世紀のペストの流行の時にも、リヨンの町は聖母マリアに救われたという伝説もあって、リヨンでは聖母の祝日12月8日には、聖母マリアに対する感謝の祭りを行い、町中がキャンドルやイルミネーションで飾られるとか。
文字通りリヨンの守り神なのですね。
この聖堂には、あまりゴシック的な要素が見られませんね。勿論、ゴシック時代はとっくに過ぎてからの建築ですが、所謂ネオ・ゴシック(ゴシック・リバイバル)流行の時代なんですがね。ここは割とロマネスク様式を意識したデザインになってる様です。またもや引き合いに出しますが、サクレ・クールの方はビザンティン様式のドーム屋根になってます。
さて、今回は日帰り・駆け足出張ですからね。この辺で。今度はもっと時間に余裕があると良いなぁ。
0 件のコメント:
コメントを投稿