折角バティニョル通りを通ったのにローマ駅を素通りしてしまったとは。
ま、メタボオヤジ化防止にはちょうど良いか。てな訳で再び坂を上って参りました。
ローマ駅です。
メトロ初期のギマールによるアール・ヌーヴォースタイルの入り口ですね。「鉄の女」マーガレット・サッチャーさんの伝記映画の宣伝でしょうか?メリル・ストリープさんも結構雰囲気出してますね。
ギマールのメトロ入り口
1900年
1899年、アール・ヌーヴォーの建築家エクトル・ギマールは、当時建設中だった地下鉄のすべての入り口をデザインする事を請け負った。
彼は安価であり、同時に堂々たる効果をあげる素材、鋳鉄を選び、植物の姿に発想を得たアーチに飾られた入り口の柵をデザインし、パリっ子達を驚かせた。一部にはこのメトロ入り口を見て「怪物」または「虫」みたいで、赤い二つの明かりはその眼みたいだという人もいた。
1902年以降、メトロの入り口は他の芸術家にも発注される様になり、そして1912年、地下鉄道会社はギマールの入り口を新設する事は無くなった。現在歴史的記念建造物になっているギマールの入り口は88件が残されており、パリにおけるアール・ヌーヴォー・スタイルの重要な証人となっている。
斬新過ぎる物は叩かれるのですね。
エッフェル塔然り、ジェリコー、ドラクロワ、クールベ、ゴッホやモディリアニ然り。
そしてここにはもうひとつ、メトロ100周年記念で設置された「メトロの歴史」プレートがありますよ。
鉄の橋床
1900年
この駅の天井は鉄製の橋床で構成されている。鉄の横梁が煉瓦の小アーチを支えており、これは当時最新だったギュスタヴ・エッフェルの設計を思わせる。この工法はいくつかの駅に採用され、そのうち10件前後は一番線に見られる。この工法は、工事の全期間中を通じて通行止めになていた通りに沿って、地下の比較的浅い所にトンネルを通すことを可能にした。大きく口を開いた工事の穴は、いくつものトンネルで崩落が起きるのではないか、セーヌ川の増水で水没するのではないかと心配したパリの人々の間に不安を引き起こした。
しかしフュルジョンス・ビヤンヴニュによって設置された金属の屋根は頑丈で、交通は遅滞無く回復した。
嘗て「シャンソン酒場」と称せられた地下鉄工事の穴は塞がれた。
かくしてメトロが誕生した。
こういうのですね。
しかし鉄の梁は結構あちこちで見ますけど、こんな天窓(?)があるのは初めて見た様な気がします。
ところで、この「鉄の天井」のローマ駅だからかどうか存じませんが、この駅のホームで、他ではちょっと見かけない面白い物を見つけました。
これは…ベンチと言うべきか、ストゥールと言うべきか、はたまた止まり木か?
その昔、大喜利のお題で「一字違いで大違い」と言うのがありまして、曰く
「ベンチは二人で座るもの。便器は一人で座るもの。」
なんてのがありましたが。
だからどうしたって?いえ、別に。
これは一人々々座る訳ですから、ベンチじゃないって事ですね。
ローマ駅に限らず、そうしょっちゅう使う訳でもない、と言うか一度も降りた事も無いような駅なんかも結構ある筈ですから、一つ々々降りて色々眺めてみたら面白いでしょうねぇ。
そんな時間は今の所ありませんけど。隠居してからかな。
(老後だってこの様子じゃ楽じゃなさそうだ。)
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