そんな訳で出張からは既に帰って来てまして(日帰り駆け足出張と言ってる割には3回も続いた訳ですが)。
リヨンの新市街のシンボル、「クレディ・リヨネ・タワー」で思い出しちゃったんで、今度はパリのクレディ・リヨネのお話。
割と久々じゃないか?ペール・スターク。
1875年12月11日、クレディ・リヨネは競売でブフレル館を手に入れた。頭取のアンリ・ジェルマンはこの新しい自社の拠点に、記念碑的な相貌を与えたいと考えた。工事は1876年6月から1913年まで続いたが、銀行は1878年3月23日から営業を開始していた。建築家ウィリアム・ボウエン・バン・デル・ボイジェンが1904年まで建築の指揮を採り、その後ヴィクトル・ラルーとアンドレ・フェリックス・ナルジューがキャトル・セプトンブル通り側の外壁を造り上げた。ギュスタヴ・エッフェルの、そしてモワザンのスタッフ達が内部の鉄骨を担当した。カミーユ・ルフェーブル、アンリ・ロンバール、エドゥアール・ペパン、アントナン・キャルレ、デジレ・モリス・フェラリが破風と、人の形をした柱を彫り上げた。商業と工業に支えられた銀行、そしてセーヌ川とローヌ川の寓意像である。
何か横浜銀行旧本店の建物の事など思い出しましたが。あの建物も今はビルに組み込まれた一部しか残ってないと聞きましたがどうなんでしょう。本当だとしたら残念です。税関や開港記念館は保存してあるのにね。
ともかく。オペラ座の東側、イタリアン大通りとキャトル・セプトンブル通りに跨る壮大なクレディ・リヨネの建物。
大き過ぎて、全体が見える様に撮るのは無理でした。いや、あくまでもおっさんのカメラでは無理という意味ですが。
やっぱり銀行ってのは金があるんですねぇ。しかし、同じ金をかけるんなら、やっぱりおっさんとしては、超高層ビルを建てるより、こういう古い建物の保存にかける方が好きですよ。リヨンのクレディ・リヨネ・タワーは、現在ではトゥール・パール・デュー(パール・デュー・タワー)と呼ばれてるそうです。何故かというと、パリのデファンス地区にも、リールの町にもクレディ・リヨネ・タワーがあるからだそうで、区別するためにそれぞれ「パール・デュー・タワー」「オプス12タワー」「リール・タワー」と名づけられてます。
まぁ、現代風で格好良いのはわかりますけどね。
ま、ビルを建てるだけの金を持ってない奴が何を言ったってしょうがないんですけど。
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