手元に画像が無いんですが、パリのお土産物屋さんにある様な絵葉書なんかで、ピカソがシマシマの服を着てる写真を見た事がありませんか?
写真集「キス」で名高いロベール・ドワノーが撮ったピカソのポートレートです。キッチンテーブルを前に座るピカソ。テーブルの上には…何、このグローブみたいなでかい手は?
と思ったら手に見える様に置いてあるパンだった。なーんだ。というユーモラスな写真ですね。
この写真でピカソが着ているのが所謂バスクシャツで、元々は6/5に書いた「ジャージ」と同じく漁師さんの作業着なんですが、日本でも人気の「セント・ジェームス」なんかもこのバスクシャツの系列に含まれますね。
パリ・マドレーヌ寺院裏にあるセント・ジェームスの店です。日本では英語読みでセント・ジェームスですが、フランス語ではサン・ジェームスです。
スペイン・バスク発祥の「バスクシャツ」ではありますが、スペインに限らずフランスでも海の男に愛用されていましたし、特に1889年創業のサン・ジェームスのバスクシャツはフランス海軍にも正式に採用されたりしてます。というか横縞のシャツって最早フランスの代名詞になってるんじゃなかろうか。
外国人が日本と聞いて思い浮かべるのがサムライ・ニンジャだとしたら、日本人がフランスと聞いて思い浮かべるのは横縞のシャツとベレー帽じゃないですか?ってこれは相当古いステレオタイプですが。そう言えばベレー帽もバスク地方由来だったっけ。
ノルマンディーの漁師さん達の作業着、サン・ジェームスですからね。やっぱりトレードマークはモン・サン・ミッシェル。
そして「Pull ne de la mer」(海から生まれたセーター)の文字。
現在では勿論作業着だけではなくて、ファッションとしての面も確立されてますから、シンプルな白地に青の縞だけじゃなく、いろんなバリエーションがあります。
ところで、このバスクシャツ、元はシンプルな白・青しかなかったのを、様々な色のバリエーションの物を作るように注文したのは日本の会社だったんですってね。
モン・サン・ミッシェルにもサン・ジェームスの店がありまして、同地を訪れる日本の方にも人気がある様です。しかしカタカナで書くなよなぁ、まったく。
ま、日本にも神宮前でしたかね、店がありますから、日本でも買えるといえば買えるんですけどね。ノルマンディーで、モン・サン・ミッシェルで買って来た、と言うと有難みが違う…かなぁ。
2012年1月23日月曜日
2012年1月22日日曜日
小さな住人。
昔々、おっさんがまだ日本にいた頃、勤め先は銀座でした。ある日、事務所の倉庫に、ネコイラズを食べて息も絶え絶えのネズミが現れまして。女の子達はキャーキャー言ってばかりで近寄る事もできないので、おっさん(当時は「若いモン」だった)が駆り出された訳です。
で、その馬鹿でかいドブネズミ(誇張でなく猫位の大きさ)を段ボール箱に追い込んでゴミ捨て場に出したんですがね。今はそういうのはどうなんだろうか。ネズミの死骸というのは普通ゴミか?分別ゴミか?ま、その時はビルの管理人さんに聞いたうえで捨てたんで、問題は無かったんだろうけど、今の日本の尺度はもうすっかり変わってるでしょうしね。
何でこんな話になったかと言えば、最近立て続けにネズミを見かけたからです。とは言ってもパリのネズミはちっちゃいな。
これはメトロの出口にて。メトロの駅構内の側溝とか、線路の枕木の間なんかではよく見かけるけど、出口の階段まで出て来るのは珍しい。
ピーマンとか日本のと比べると馬鹿でかいのに、ネズミはペットで飼うハムスターよりも小さいサイズのしか見かけませんね。
そう言えば「G」もこっちのは小さいですね。
これまた日本でオンボロアパートに住んでた頃、休みの日に横になって本を読んでたら(何と言ったら良いのかな、本当に横向きになって枕に右耳をつけて、本を表紙を下にして布団の上に置き、本の開いた部分を右手で支えながら読んでいた)、本とおっさんの顔の間を、体長5cm位の「G」さんが通過しようとした事がありました。あれはびっくりした。
フランスの「G」さんで、体長1cmに届くのなんか見た事がない。
こっちは世界的に有名な某外食産業大手の店にて。
なんか映画「ウィラード」を思い出してしまった。あれは怖かったですねぇ。
「ほら、『エサ』だ」「『カラ』だ」…うわぁ。
1971年の「ウィラード」の続編が1972年の「ベン」ですね。これはなんかパニック映画というよりも、「新・猿の惑星」と同じく、本当に酷いのはどっちだ?と問いたくなる様な映画でしたが。
聖書によると、蛇はエデンの園で、知恵の木の実を食べる様にイヴをそそのかしたから、神様に人間から嫌われる様にされちゃったんですよね。
ネズミも昔何かやらかしたんでしょうか。
で、その馬鹿でかいドブネズミ(誇張でなく猫位の大きさ)を段ボール箱に追い込んでゴミ捨て場に出したんですがね。今はそういうのはどうなんだろうか。ネズミの死骸というのは普通ゴミか?分別ゴミか?ま、その時はビルの管理人さんに聞いたうえで捨てたんで、問題は無かったんだろうけど、今の日本の尺度はもうすっかり変わってるでしょうしね。
何でこんな話になったかと言えば、最近立て続けにネズミを見かけたからです。とは言ってもパリのネズミはちっちゃいな。
これはメトロの出口にて。メトロの駅構内の側溝とか、線路の枕木の間なんかではよく見かけるけど、出口の階段まで出て来るのは珍しい。
ピーマンとか日本のと比べると馬鹿でかいのに、ネズミはペットで飼うハムスターよりも小さいサイズのしか見かけませんね。
そう言えば「G」もこっちのは小さいですね。
これまた日本でオンボロアパートに住んでた頃、休みの日に横になって本を読んでたら(何と言ったら良いのかな、本当に横向きになって枕に右耳をつけて、本を表紙を下にして布団の上に置き、本の開いた部分を右手で支えながら読んでいた)、本とおっさんの顔の間を、体長5cm位の「G」さんが通過しようとした事がありました。あれはびっくりした。
フランスの「G」さんで、体長1cmに届くのなんか見た事がない。
こっちは世界的に有名な某外食産業大手の店にて。
なんか映画「ウィラード」を思い出してしまった。あれは怖かったですねぇ。
「ほら、『エサ』だ」「『カラ』だ」…うわぁ。
1971年の「ウィラード」の続編が1972年の「ベン」ですね。これはなんかパニック映画というよりも、「新・猿の惑星」と同じく、本当に酷いのはどっちだ?と問いたくなる様な映画でしたが。
聖書によると、蛇はエデンの園で、知恵の木の実を食べる様にイヴをそそのかしたから、神様に人間から嫌われる様にされちゃったんですよね。
ネズミも昔何かやらかしたんでしょうか。
2012年1月21日土曜日
意外とこういう趣味なおっさん。
さて得意の「街を歩いてたら」パターンですが。
仕事の行き帰りに、お土産物屋さんが並ぶ通りを通ることが多いんですよ。で、いろいろ覗いて歩いていて、最近は結構バッグ、それもエコバッグのバリエーションがかなり増えて来たみたいですねぇ。
こっちはエコバッグという感じじゃないけど、空港にて。やっぱり「パリ・シャルル・ド・ゴール空港」ですからね。パリのお土産となるとエッフェル塔の図柄は必須なんでしょう。
で、うっかり目にとめてしまったのがこれ。ルーブル美術館の近く、リヴォリ通りの「いかにも」なお土産物屋さん「SUVINA」さんで。
いやー、カワイイじゃないか。安物のビニールで、せいぜい買い物袋替わりに使う程度の代物ですが、まぁ普段使いには十分っちゃ十分だ。3ユーロだし。パリの観光名所かなり網羅してるし。ただ、布地のどこの部分を使ったかによって、表面に出て来る図柄が違うから、ものによっては有名な観光名所があんまり載ってない事もあるのが難と言えば難ですね。
これの大きいバージョンもありまして、5ユーロ。これは「小」と同じ布地を使っていて、面積が大きい分だけパリのいろんな観光名所が良く見える様になっております。
このバッグの小さいバージョンの方はA4版の書類がピッタリ入るので、書類入れとして使ってたら、日本人の10代(おそらく)の女の子に「かわいー、めっちゃかわいー」と連発されました。そら確かにかわいいとは思うけど、そこまでツボる様なものか?
それともおっさんの趣味が若いんだろうか。いや青いのか?
そういえば、普通「ピンクのネクタイ」と言った時に想像するよりちょっと強めのピンクのネクタイ(とは言ってもローズピンク・ディープピンク・ショッキングピンクではない)をしてたら、フランス人さん達からはおおむね好評でしたが、おっさんの周りの日本人のオジサン達からは総攻撃を喰らいましたが。
で、そんな微妙なネクタイを、「素敵…!」とか言いながら手に取っちゃったのは、仕事関係でお会いした、日本人のやっぱり若い女性でしたが。
中学生の頃からフォークもロックも演歌もムード歌謡も結構平等に好きなおっさんの中には、若い頃からおっさんと若造が同居してるんだろうか。
仕事の行き帰りに、お土産物屋さんが並ぶ通りを通ることが多いんですよ。で、いろいろ覗いて歩いていて、最近は結構バッグ、それもエコバッグのバリエーションがかなり増えて来たみたいですねぇ。
こっちはエコバッグという感じじゃないけど、空港にて。やっぱり「パリ・シャルル・ド・ゴール空港」ですからね。パリのお土産となるとエッフェル塔の図柄は必須なんでしょう。
で、うっかり目にとめてしまったのがこれ。ルーブル美術館の近く、リヴォリ通りの「いかにも」なお土産物屋さん「SUVINA」さんで。
いやー、カワイイじゃないか。安物のビニールで、せいぜい買い物袋替わりに使う程度の代物ですが、まぁ普段使いには十分っちゃ十分だ。3ユーロだし。パリの観光名所かなり網羅してるし。ただ、布地のどこの部分を使ったかによって、表面に出て来る図柄が違うから、ものによっては有名な観光名所があんまり載ってない事もあるのが難と言えば難ですね。
これの大きいバージョンもありまして、5ユーロ。これは「小」と同じ布地を使っていて、面積が大きい分だけパリのいろんな観光名所が良く見える様になっております。
このバッグの小さいバージョンの方はA4版の書類がピッタリ入るので、書類入れとして使ってたら、日本人の10代(おそらく)の女の子に「かわいー、めっちゃかわいー」と連発されました。そら確かにかわいいとは思うけど、そこまでツボる様なものか?
それともおっさんの趣味が若いんだろうか。いや青いのか?
そういえば、普通「ピンクのネクタイ」と言った時に想像するよりちょっと強めのピンクのネクタイ(とは言ってもローズピンク・ディープピンク・ショッキングピンクではない)をしてたら、フランス人さん達からはおおむね好評でしたが、おっさんの周りの日本人のオジサン達からは総攻撃を喰らいましたが。
で、そんな微妙なネクタイを、「素敵…!」とか言いながら手に取っちゃったのは、仕事関係でお会いした、日本人のやっぱり若い女性でしたが。
中学生の頃からフォークもロックも演歌もムード歌謡も結構平等に好きなおっさんの中には、若い頃からおっさんと若造が同居してるんだろうか。
2012年1月20日金曜日
もうひとつ。
駐車ネタです。
これも一般車は駐車しちゃいけないスペースです。Livraisons(リヴレゾン)という、配達車専用スペースですね。
こんな専用スペースがあるにもかかわらず、道のど真ん中にトラックを停めて配達に行ってる奴もよく見かけます。ま、配達車専用スペースに駐車してる一般車もよく見かけますが。
ところで、このリヴレゾンの近くにこんな説明書きがありまして。
成程。一枚目みたいな点線のリヴレゾンは平日の夜8時から朝7時までと日曜・祝日は一般車が駐車して良いと。実線二本の所は配達車しか停めちゃいけない本当に「専用」ですか。
で、そう思っていたら、先日こんなものを見かけてしまったんですが。実線一本だけのリヴレゾン。
さすがおフランス。いい加減ですねぇ。実線二本は一般車はダメ、点線は時間限定で一般車OK
などと貼り紙をしておきながら、じゃあ実線一本は何なのか全く説明が無い。
さて、ここは一般車が駐車してもいいのでしょうか?
試してみたい気もしますが、それで罰金取られたりするのも馬鹿らしいしなぁ。
これも一般車は駐車しちゃいけないスペースです。Livraisons(リヴレゾン)という、配達車専用スペースですね。
こんな専用スペースがあるにもかかわらず、道のど真ん中にトラックを停めて配達に行ってる奴もよく見かけます。ま、配達車専用スペースに駐車してる一般車もよく見かけますが。
ところで、このリヴレゾンの近くにこんな説明書きがありまして。
成程。一枚目みたいな点線のリヴレゾンは平日の夜8時から朝7時までと日曜・祝日は一般車が駐車して良いと。実線二本の所は配達車しか停めちゃいけない本当に「専用」ですか。
で、そう思っていたら、先日こんなものを見かけてしまったんですが。実線一本だけのリヴレゾン。
さすがおフランス。いい加減ですねぇ。実線二本は一般車はダメ、点線は時間限定で一般車OK
などと貼り紙をしておきながら、じゃあ実線一本は何なのか全く説明が無い。
さて、ここは一般車が駐車してもいいのでしょうか?
試してみたい気もしますが、それで罰金取られたりするのも馬鹿らしいしなぁ。
2012年1月19日木曜日
とある駐車場で。
満車状態で駐車場に入りたい車が行列を作っているのに、9番の駐車スペースだけは空いています。しかし誰もそこに駐車しようとしません。何故でしょう?
答え「車はキュウにとまれない」
というオヤジギャグを何かの落語のマクラで聞きましたが。
別に関係無いんですが、昨日の話の続き、今度は駐車してはいけない場所について。
パリの街でこんな表示を見たら、ここには駐車しちゃ駄目です。これは電気自動車の充電用スペースですね。昔からあったんですが、最近特に増えて来ました。昔の充電ポイントはただの配電盤か何かが入ってるケースですか?って感じでしたが、今のポイントは近代的なデザインになりました。
今現在、官公庁とかはともかく、EVの一般ユーザーってのはどの位いるんでしょうかね。HV位はまだ見る様になりましたが、普通に道行く車を見てもEVなんて見かけないんですが。そして充電ポイントにはこんなEVが(同じデザインの物がずらりと)充電ポイントに並んでますから、これはEV普及に向けての宣伝なんでしょうね。
で、ここまで書いておいてですが、後になって気づいた。ヴェリブっていう貸し自転車があったな、と。て事はこれは貸しEVだったりとか?って調べてから書けよ。まったく。
さて、EVもありますが、一方で開発が進められている水素エンジン車の方はどうなってるんでしょうか。いつか水素エンジン車が一般に普及する様になったら、現在のガソリンスタンドでLPG車の給「ガス」施設が一般的になって来つつある様に、「水素スタンド」があちこちにあるのが普通になって来るんですかね。
まぁそれよりはEVの充電ポイントを設置する方が投資額としては少なくて済みそうですが。
何にせよそんな光景が見られるとしてもまだまだ先の話ですね。今は太陽電池搭載のEVも研究されているとか。ひょっとして燃料代かからなくなるかもとか、コスパ最強じゃないですか。
おっさんが生きてる間に来るかなぁ、そんな時代。
答え「車はキュウにとまれない」
というオヤジギャグを何かの落語のマクラで聞きましたが。
別に関係無いんですが、昨日の話の続き、今度は駐車してはいけない場所について。
パリの街でこんな表示を見たら、ここには駐車しちゃ駄目です。これは電気自動車の充電用スペースですね。昔からあったんですが、最近特に増えて来ました。昔の充電ポイントはただの配電盤か何かが入ってるケースですか?って感じでしたが、今のポイントは近代的なデザインになりました。
今現在、官公庁とかはともかく、EVの一般ユーザーってのはどの位いるんでしょうかね。HV位はまだ見る様になりましたが、普通に道行く車を見てもEVなんて見かけないんですが。そして充電ポイントにはこんなEVが(同じデザインの物がずらりと)充電ポイントに並んでますから、これはEV普及に向けての宣伝なんでしょうね。
で、ここまで書いておいてですが、後になって気づいた。ヴェリブっていう貸し自転車があったな、と。て事はこれは貸しEVだったりとか?って調べてから書けよ。まったく。
さて、EVもありますが、一方で開発が進められている水素エンジン車の方はどうなってるんでしょうか。いつか水素エンジン車が一般に普及する様になったら、現在のガソリンスタンドでLPG車の給「ガス」施設が一般的になって来つつある様に、「水素スタンド」があちこちにあるのが普通になって来るんですかね。
まぁそれよりはEVの充電ポイントを設置する方が投資額としては少なくて済みそうですが。
何にせよそんな光景が見られるとしてもまだまだ先の話ですね。今は太陽電池搭載のEVも研究されているとか。ひょっとして燃料代かからなくなるかもとか、コスパ最強じゃないですか。
おっさんが生きてる間に来るかなぁ、そんな時代。
2012年1月18日水曜日
「これ、どうやって出るの?」
よく聞かれます。
パリの路上駐車のお話です。パリに住んでると縦列駐車は否応なく上手くなります。パリみたいな古い町は、地下駐車場を新設するのにも限界がありますから、やっぱり路上駐車になりますね。大通りは駐車禁止の所が多いですが、ちょっと脇に入った狭い道は大抵パーキングチケット制の駐車スペースになってまして、普通はこんな感じ。
なかには歩道を削って駐車スペースにしてしまい、歩行者が通れる部分が物凄く狭くなってる所とか、
凄いのになると、歩道の上に線で駐車スペースを描いただけ、なんてのもあります。
何にせよ、こういうパーキングチケット制駐車スペースをPAYANT(ペイヨン・「有料」の意)といいます。パーキングチケットさえ買っとけば駐車して良い訳ですが、駐車違反をとられても罰金はたかだか17ユーロだし、普通の駐車違反なら点数も引かれないし、真面目に毎回パーキングチケットを買うより、時々、運悪く駐禁を取られた時だけ罰金を払う方が安いし、別に買わなくていいや、なんていう考え方の人も結構いる様です。実際その位の頻度でしか取り締まってませんしね。
さて、ではパリの人々の華麗なる縦列駐車テクニックを御覧頂きましょうか。
うーん、凄いですねぇ。念の為申し上げておきますが、これは一台の車の前部と後部ですよ。
というか、これはやっぱり、ここにこの車が駐車した訳ではなく、停めておいた車の前の車と後ろの車が出て行って、その後に他の車が来て、ぎりぎりの所に停めて行ったんでしょうね。それでも、これは脱出できないか?というとそうでもありません。これなら普通に離脱できますね。
よく、映画なんかで前後の車にぶつけて、押して場所を広げて出し入れするシーンがありますけど、あれはよっぽどの時しかしないのでして、この画像の状況なら、出る時にぶつけはするでしょうが、押さなくても出られますね。
さて、こっちはというと、もう、停めてある車同士がくっついちゃってます。
日本でこんな事やったら大変でしょうねぇ。日本の方にとっては車は「財産」なんですよね。ヨーロッパ人やアメリカ人は、車を「足」としてしか見てない人も結構多いです。とは言っても、自分の車が目の前で押されてたらそりゃ怒りますけどね。
しかし、慢性的駐車場不足に悩むパリでの事、多少強引でも停めたもん勝ちという所でしょうかね。
パリの路上駐車のお話です。パリに住んでると縦列駐車は否応なく上手くなります。パリみたいな古い町は、地下駐車場を新設するのにも限界がありますから、やっぱり路上駐車になりますね。大通りは駐車禁止の所が多いですが、ちょっと脇に入った狭い道は大抵パーキングチケット制の駐車スペースになってまして、普通はこんな感じ。
なかには歩道を削って駐車スペースにしてしまい、歩行者が通れる部分が物凄く狭くなってる所とか、
凄いのになると、歩道の上に線で駐車スペースを描いただけ、なんてのもあります。
何にせよ、こういうパーキングチケット制駐車スペースをPAYANT(ペイヨン・「有料」の意)といいます。パーキングチケットさえ買っとけば駐車して良い訳ですが、駐車違反をとられても罰金はたかだか17ユーロだし、普通の駐車違反なら点数も引かれないし、真面目に毎回パーキングチケットを買うより、時々、運悪く駐禁を取られた時だけ罰金を払う方が安いし、別に買わなくていいや、なんていう考え方の人も結構いる様です。実際その位の頻度でしか取り締まってませんしね。
さて、ではパリの人々の華麗なる縦列駐車テクニックを御覧頂きましょうか。
うーん、凄いですねぇ。念の為申し上げておきますが、これは一台の車の前部と後部ですよ。
というか、これはやっぱり、ここにこの車が駐車した訳ではなく、停めておいた車の前の車と後ろの車が出て行って、その後に他の車が来て、ぎりぎりの所に停めて行ったんでしょうね。それでも、これは脱出できないか?というとそうでもありません。これなら普通に離脱できますね。
よく、映画なんかで前後の車にぶつけて、押して場所を広げて出し入れするシーンがありますけど、あれはよっぽどの時しかしないのでして、この画像の状況なら、出る時にぶつけはするでしょうが、押さなくても出られますね。
さて、こっちはというと、もう、停めてある車同士がくっついちゃってます。
日本でこんな事やったら大変でしょうねぇ。日本の方にとっては車は「財産」なんですよね。ヨーロッパ人やアメリカ人は、車を「足」としてしか見てない人も結構多いです。とは言っても、自分の車が目の前で押されてたらそりゃ怒りますけどね。
しかし、慢性的駐車場不足に悩むパリでの事、多少強引でも停めたもん勝ちという所でしょうかね。
2012年1月17日火曜日
クールジャパンって、こういうの?
出張続きの合間(?)のパリです。
メトロに乗ってたらストリート・ミュージシャンならぬメトロ・ミュージシャンが乗り込んで来ました。ま、これはパリのメトロではよくある事ですね。ミュージシャンどころか、車内でいきなり「私は失業者で子供がいて云々…」と演説を始めるお貰いさんなんかもいたりして。
一応メトロ車内で物乞いをする事や、音楽を演奏してチップを貰って廻る事は禁止されていますが、その割にはしょっちゅう見かけるんだよなぁ。
地下鉄公団は「車内」では駄目ですが、「駅構内」での音楽活動は認めてます。でも一応オーディションというか、聞き苦しい物ではないかの審査みたいなのはある様です。面白そうだから今度受けてみようかな。
それはさておき、今日はヴァイオリニストさんが乗って来たんですが、彼のTシャツのイラストは…
ルパン三世の相棒、次元大介でした。いや、これ売ってんのか?それとも手作りなんだろうか。意外と欲しかったりして。
さてもうひとつ、メトロで見かけたものを。
麦わら海賊団はパリにも支部があるんでしょうか。ま、今ヨーロッパでもONEPIECEやナルトは人気ですからね。しかしこんなのどこで売ってるんだろう?ジャンプフェスタかなんかで買ったものを転売してんのか?それともジャンプ公式グッズの店でもあるのかな。
もうひとつ、こちらは(また地方ネタだよ)モン・サン・ミッシェルのお土産物やさんにて。お土産の定番のひとつに、その地方の名所の形をした写真立てなんてのがあります。しかしモン・サン・ミッシェルでこういうのを見かけるとは思ってませんでした。
モン・サン・ミッシェルや大天使ミカエルはわかりますが、写真を入れる部分はハート型。そして、その中には萌え絵っぽいものが。勿論このハート型の中には、この写真立てを買った人が好きな写真を入れる訳ですけどね。
日本の「萌え」文化は着々と世界に浸透しつつあるのですねぇ。
メトロに乗ってたらストリート・ミュージシャンならぬメトロ・ミュージシャンが乗り込んで来ました。ま、これはパリのメトロではよくある事ですね。ミュージシャンどころか、車内でいきなり「私は失業者で子供がいて云々…」と演説を始めるお貰いさんなんかもいたりして。
一応メトロ車内で物乞いをする事や、音楽を演奏してチップを貰って廻る事は禁止されていますが、その割にはしょっちゅう見かけるんだよなぁ。
地下鉄公団は「車内」では駄目ですが、「駅構内」での音楽活動は認めてます。でも一応オーディションというか、聞き苦しい物ではないかの審査みたいなのはある様です。面白そうだから今度受けてみようかな。
それはさておき、今日はヴァイオリニストさんが乗って来たんですが、彼のTシャツのイラストは…
ルパン三世の相棒、次元大介でした。いや、これ売ってんのか?それとも手作りなんだろうか。意外と欲しかったりして。
さてもうひとつ、メトロで見かけたものを。
麦わら海賊団はパリにも支部があるんでしょうか。ま、今ヨーロッパでもONEPIECEやナルトは人気ですからね。しかしこんなのどこで売ってるんだろう?ジャンプフェスタかなんかで買ったものを転売してんのか?それともジャンプ公式グッズの店でもあるのかな。
もうひとつ、こちらは(また地方ネタだよ)モン・サン・ミッシェルのお土産物やさんにて。お土産の定番のひとつに、その地方の名所の形をした写真立てなんてのがあります。しかしモン・サン・ミッシェルでこういうのを見かけるとは思ってませんでした。
モン・サン・ミッシェルや大天使ミカエルはわかりますが、写真を入れる部分はハート型。そして、その中には萌え絵っぽいものが。勿論このハート型の中には、この写真立てを買った人が好きな写真を入れる訳ですけどね。
日本の「萌え」文化は着々と世界に浸透しつつあるのですねぇ。
2012年1月16日月曜日
終点。
モンペリエ歩き第三部ですね。
街の西端のペイルー遊歩道から中心部へと歩きます。途中寄ってみたい教会とかもあったんですけどねー。今回は一人じゃないのであまり気の向くままに歩くことはできないのです。時間の制限もあるしね。
モンペリエはラングドック・ルシヨン地方の首府であり、エロー県の県庁所在地でもあります。ここは「対独抵抗運動の殉教者」広場、県庁の建物です。しかしまた凄い名前の広場ですね。
ドイツに占領されたフランスは、北部はドイツの直接支配、南部はヴィシー傀儡政権によって支配されます。ヴィシー政権のペタン主席とスペインの独裁者フランコ総統が、この県庁で会見したと伝えられていますね。
そしてこの広場は書店「ジベール・ジョセフ」の発祥の地だそうです。さすが大学町。
「ジベール」書店が、「ジベール・ジュンヌ」書店と「ジベール・ジョセフ書店」に分離・独立したのですね。アディダスとプーマみたいなもんか。この二つの書店は今でもあって、パリの学生街カルチェ・ラタンに、「教科書」(その中でも各科目に分かれている)、「漫画」、「文学」等々、各部門に分かれて何件もの店があります。
さて、今回は結構駆け足でして、次へ。
とか言いつつ市場があったりするとちゃんと寄り道するんですけどね。
とは言えじっくり眺める程でもなく。なんか中途半端だ。
そして早々に街の中心のコメディー広場に到着。
オペラ座なんかもありまして。
1888年に造られたオペラ・コミック劇場ですね。モンペリエのオペラ座は、1755年建造の最初のもの、1788に再建されたもの、共に焼失してしまいました。このオペラ・コミックは、パリのオペラ駅に代表される新古典主義様式のメトロの入り口やアレクサンドル三世橋なんかも手掛けたカシアン・ベルナールの作品ですね。アレクサンドル三世橋については昨年の6/30、オペラの地下鉄入り口については同じく昨年11/14の記事を御覧頂きましょうか。
三美神の彫刻のある噴水も見事です。
ターリア・アグライア・オイフロジーネと呼ばれる三柱の女神達は背中合わせになって踊っていますが、これは噴水の為の彫刻だからでしょうね。三柱の女神は、普通は向かい合っている事がほとんどですが、ここに限っては、向かい合ってたら、この広場に集う人々にお尻を向けちゃう事になりますもんね。
三美神については昨年5/19に書きましたのでよろしければ併せてお読み下さい。
さて、大急ぎだったけど市内の主要な所を歩きまして、こんなカフェで休憩。
それほどお腹は減ってなかったので、今日の昼食は軽めにサラダ。おっさんが注文したのはアヴェロン風サラダというもので、砂肝のサラダなんですが、結構なボリュームでした。砂肝はフランス語で「Gesier」ジェズィエといいます。パリのスーパーなんかでもよく瓶詰めとか缶詰の物を置いてますから、ちょっと重いですけどお土産にどうでしょう。オススメです。
メニューに砂肝入りのサラダを発見した途端に、もう注文する気になってましたよ。
アヴェロン地方については昨年10/9に書いてますが、さて、砂肝なんかあったかな?気がつかなかったけど。
何もモンペリエに来てわざわざアヴェロン風サラダを食べなくてもよさそうなもんだ。
「秋刀魚は目黒に限る!」とか?
ま、砂肝は大好きですし、おいしかったから強引に良しとしまして、これでモンペリエ編も終わり、今晩パリに帰ります。
またどこか出張あると良いなー、などと。
街の西端のペイルー遊歩道から中心部へと歩きます。途中寄ってみたい教会とかもあったんですけどねー。今回は一人じゃないのであまり気の向くままに歩くことはできないのです。時間の制限もあるしね。
モンペリエはラングドック・ルシヨン地方の首府であり、エロー県の県庁所在地でもあります。ここは「対独抵抗運動の殉教者」広場、県庁の建物です。しかしまた凄い名前の広場ですね。
ドイツに占領されたフランスは、北部はドイツの直接支配、南部はヴィシー傀儡政権によって支配されます。ヴィシー政権のペタン主席とスペインの独裁者フランコ総統が、この県庁で会見したと伝えられていますね。
そしてこの広場は書店「ジベール・ジョセフ」の発祥の地だそうです。さすが大学町。
「ジベール」書店が、「ジベール・ジュンヌ」書店と「ジベール・ジョセフ書店」に分離・独立したのですね。アディダスとプーマみたいなもんか。この二つの書店は今でもあって、パリの学生街カルチェ・ラタンに、「教科書」(その中でも各科目に分かれている)、「漫画」、「文学」等々、各部門に分かれて何件もの店があります。
さて、今回は結構駆け足でして、次へ。
とか言いつつ市場があったりするとちゃんと寄り道するんですけどね。
とは言えじっくり眺める程でもなく。なんか中途半端だ。
そして早々に街の中心のコメディー広場に到着。
オペラ座なんかもありまして。
1888年に造られたオペラ・コミック劇場ですね。モンペリエのオペラ座は、1755年建造の最初のもの、1788に再建されたもの、共に焼失してしまいました。このオペラ・コミックは、パリのオペラ駅に代表される新古典主義様式のメトロの入り口やアレクサンドル三世橋なんかも手掛けたカシアン・ベルナールの作品ですね。アレクサンドル三世橋については昨年の6/30、オペラの地下鉄入り口については同じく昨年11/14の記事を御覧頂きましょうか。
三美神の彫刻のある噴水も見事です。
ターリア・アグライア・オイフロジーネと呼ばれる三柱の女神達は背中合わせになって踊っていますが、これは噴水の為の彫刻だからでしょうね。三柱の女神は、普通は向かい合っている事がほとんどですが、ここに限っては、向かい合ってたら、この広場に集う人々にお尻を向けちゃう事になりますもんね。
三美神については昨年5/19に書きましたのでよろしければ併せてお読み下さい。
さて、大急ぎだったけど市内の主要な所を歩きまして、こんなカフェで休憩。
それほどお腹は減ってなかったので、今日の昼食は軽めにサラダ。おっさんが注文したのはアヴェロン風サラダというもので、砂肝のサラダなんですが、結構なボリュームでした。砂肝はフランス語で「Gesier」ジェズィエといいます。パリのスーパーなんかでもよく瓶詰めとか缶詰の物を置いてますから、ちょっと重いですけどお土産にどうでしょう。オススメです。
メニューに砂肝入りのサラダを発見した途端に、もう注文する気になってましたよ。
アヴェロン地方については昨年10/9に書いてますが、さて、砂肝なんかあったかな?気がつかなかったけど。
何もモンペリエに来てわざわざアヴェロン風サラダを食べなくてもよさそうなもんだ。
「秋刀魚は目黒に限る!」とか?
ま、砂肝は大好きですし、おいしかったから強引に良しとしまして、これでモンペリエ編も終わり、今晩パリに帰ります。
またどこか出張あると良いなー、などと。
2012年1月15日日曜日
おっさんのオサンポ。
という訳でモンペリエ編。
ここもまた路面電車が通ってます。リヨンもナントもそうでしたが。
やっぱりエコの為なんでしょうね。
さて街の西側ペイルー遊歩道に向かうと小さいながら凱旋門があります。これも嘗ては城壁の一部というか、街の中と外を行き来する「門」だったのでしょうね。
16世紀、宗教戦争の時代には、モンペリエではユグノー(新教派)が優勢だったそうです。そしてアンリ四世によってナントの勅令(1598年)が発せられ、取りあえずイザコザは収まったかに見えました。その後ルイ十三世の時代には国王の保護の下カトリックが巻き返して来て、プロテスタントはだんだんに排除されて行きます。結局ルイ十四世のフォンテンブローの勅令(1685年、ナントの勅令を廃止する勅令)が発せられ、カトリックの支配が定着する訳ですね。
だからかどうか、この凱旋門のすぐ西側、嘗ての城壁の外側にはルイ十四世の命によって造られたペイルー遊歩道がありまして、やっぱり、「支配を確立した王様」は権力を誇示するのが大好きなんでしょうかね。遊歩道内にはルイ十四世像があります。
まぁ、生臭い歴史の事は取りあえず置いとくとして、ここは天気がいい日に散歩するにはもって来いの所です。
更に進めば噴水?じゃないな、泉水?(忍とかミノルとかカズヤとか?違うから。あれは仙水だろ。)がありまして、んー、夏の暑い時だったらこんな所で涼みたいかも。
そしてこの遊歩道?庭園?の一番端には水道橋があります。ま、世界遺産の、有名な「ポン・デュ・ガール」なんかは古代ローマのものですが、こちらはルイ十四世の支配が確立して安定した時期、フランス革命よりも少し前位に作られた物ですから、歴史的には相当「新しい」部類になりますけど。
しかし、この橋そのものより、橋の上に人が勝手に上らない様にする為の忍び返し(?)みたいな奴の方に興味を持ってしまうおっさんでありました。ひねくれてるのは自分でわかってますけど。
しかし、これだけで十分芸術品だよなぁ。
さて、庭園のすぐ脇にはこんな物がありまして。
フランス語でカルヴェールといいます。英語ならカルヴァリーですね。日本ではゴルゴタと呼びます。これはアラム語(またはヘブライ語、どっちが正しいかは調べても中々分からないんですが)をカタカナに音写した言葉です。というか一般的には「ゴルゴダ」という人の方が多いかと思いますが。カルヴァリオというのはラテン系の言葉ですが、ゴルゴタでもカルヴァリオでも意味は同じ「髑髏」を指します。
分かれ道の分かれ目なんかによく立ってます。道祖神みたいな物でしょうかね。
このカルヴァリオも掘り下げてくと面白いんですが…それは又の機会に。
ここらでまた一休み。
ここもまた路面電車が通ってます。リヨンもナントもそうでしたが。
やっぱりエコの為なんでしょうね。
さて街の西側ペイルー遊歩道に向かうと小さいながら凱旋門があります。これも嘗ては城壁の一部というか、街の中と外を行き来する「門」だったのでしょうね。
16世紀、宗教戦争の時代には、モンペリエではユグノー(新教派)が優勢だったそうです。そしてアンリ四世によってナントの勅令(1598年)が発せられ、取りあえずイザコザは収まったかに見えました。その後ルイ十三世の時代には国王の保護の下カトリックが巻き返して来て、プロテスタントはだんだんに排除されて行きます。結局ルイ十四世のフォンテンブローの勅令(1685年、ナントの勅令を廃止する勅令)が発せられ、カトリックの支配が定着する訳ですね。
だからかどうか、この凱旋門のすぐ西側、嘗ての城壁の外側にはルイ十四世の命によって造られたペイルー遊歩道がありまして、やっぱり、「支配を確立した王様」は権力を誇示するのが大好きなんでしょうかね。遊歩道内にはルイ十四世像があります。
まぁ、生臭い歴史の事は取りあえず置いとくとして、ここは天気がいい日に散歩するにはもって来いの所です。
更に進めば噴水?じゃないな、泉水?(忍とかミノルとかカズヤとか?違うから。あれは仙水だろ。)がありまして、んー、夏の暑い時だったらこんな所で涼みたいかも。
そしてこの遊歩道?庭園?の一番端には水道橋があります。ま、世界遺産の、有名な「ポン・デュ・ガール」なんかは古代ローマのものですが、こちらはルイ十四世の支配が確立して安定した時期、フランス革命よりも少し前位に作られた物ですから、歴史的には相当「新しい」部類になりますけど。
しかし、この橋そのものより、橋の上に人が勝手に上らない様にする為の忍び返し(?)みたいな奴の方に興味を持ってしまうおっさんでありました。ひねくれてるのは自分でわかってますけど。
しかし、これだけで十分芸術品だよなぁ。
さて、庭園のすぐ脇にはこんな物がありまして。
フランス語でカルヴェールといいます。英語ならカルヴァリーですね。日本ではゴルゴタと呼びます。これはアラム語(またはヘブライ語、どっちが正しいかは調べても中々分からないんですが)をカタカナに音写した言葉です。というか一般的には「ゴルゴダ」という人の方が多いかと思いますが。カルヴァリオというのはラテン系の言葉ですが、ゴルゴタでもカルヴァリオでも意味は同じ「髑髏」を指します。
分かれ道の分かれ目なんかによく立ってます。道祖神みたいな物でしょうかね。
このカルヴァリオも掘り下げてくと面白いんですが…それは又の機会に。
ここらでまた一休み。
2012年1月14日土曜日
またかい。
最近出張ネタ多いな。ま、おっさんとしてはいろんな所に行けて楽しいんですけど。もっと時間に余裕があれば尚良いんだけどな。いやいや、贅沢は申しますまい。
今回は南仏モンペリエ。
モンペリエは古くからの大学町で、特に医学部が知られてます。パリの医科大学と肩を並べるレベルだとか。もともと1220年に医学校としてスタートして、その後法学部が加わったのが1289年、これをもってモンペリエ大学の発祥とする訳ですね。そしてこのモンペリエ大学で医学を学んだのがノストラダムスでした。
今回は大学の仕事じゃありませんが。高校です。
とはいってもこっちの高校って、選択科目が結構あったり、その科目の選択によって空き時間がぽっかりできちゃったりとか、日本の感覚では大学に近いですね。まぁ、今の日本の大学の教養課程は旧制では高校に相当する訳ですから、似た様なもんか。
高校に入ってすぐの所にはこんなプレートが。
コレージュ・テクニック・ミシュレ校の生徒にして後に教師、抵抗運動の英雄、1944年1月ミッテルバウ・ドーラ強制収容所に連行され死亡したルネ・ドゥヴィックに捧ぐ
こういうプレート、本当にあちこちにあります。こういう職員や学生の名を記した記念碑が各学校や職場に、過去を風化させない様に、悲しみを忘れない様に、設置されてるんですね。
日本の職場や学校にこういうプレートを取り付けたらどんな反応が返って来るんだろうか。
「この悲しみも怒りも、忘れてはならない!それをガルマは死をもって我々に示してくれたのだ!我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて…」
いや、違うから。
そういえばモンペリエは普仏戦争に出征して亡くなった印象派の画家、フレデリック・バジルの出身地でもありますね。印象派の画家としてはバジルはあまり名を知られてません。それもその筈、バジルは第一回印象派展が開かれる前に普仏戦争で戦死してます。でも、バジルは印象派(当時はまだそう呼ばれてませんでしたが)の芸術家達と共に製作し、芸術を語り合い、いつか作品が世に出る事を目指した仲間であり、印象派のメンバーの一人に数えられてます。
普仏戦争とコミューンの乱が無かったら、印象派展はもう数年早く開かれていただろうと言われてますね。
もうひとり、モンペリエ出身の男の話を。ジャック・クールです。
ジャンヌ・ダルクの主君であるシャルル七世の御用商人であったジャック・クールは宮廷で使われるあらゆる物を納入していたそうですね。もともと名家で金持ちでもあった様ですが、更に大きな富を築き上げ、また国王シャルル七世に対してはほぼ無償で資金援助を行い、その代わりに国王から様々な特権を認めて貰い、それを利用して益々事業を拡大してのし上がった人です。このクールの隆盛の下、貿易の拠点としてモンペリエの町も栄えます。モンペリエの町は繁栄を続けますが、クールはその躍進振りが周囲の反感を買い、彼に恨みを持つ人達から訴えられて、裁判の結果、財産没収、投獄の憂き目を見る訳ですが。
おっさんが見付けたのは銅像でしたが、どこかに石像もあるらしいですね。
さて、更に町を散策、といえばおっさんが目指す物は決まってますね。前もってチェックしてありましたよ。サン・ピエール聖堂です。
パリのノートル・ダムにも似た正面に、二つの丸い塔がついてるのがここの特徴なんですがね。残念ながら修復工事中の様です。中に入ってみたらミサの真っ最中で、これまた残念ながら、あちこち写真を撮って回る事もできませんでした。取りあえずお祈りの邪魔にならない程度に、ちょっとだけ。
ま、しょうがないですね。お祈りの人達に混じって席について、じっくり眺められただけでも良しとしましょうか。
聖堂を出て少し離れた所を、ベーダーちゃんがひっそりと侵略してました。
随分遠慮深いじゃないか。
さて、おっさんは更に街歩きを続ける訳ですが、この辺でちょっと一息。続く。
今回は南仏モンペリエ。
モンペリエは古くからの大学町で、特に医学部が知られてます。パリの医科大学と肩を並べるレベルだとか。もともと1220年に医学校としてスタートして、その後法学部が加わったのが1289年、これをもってモンペリエ大学の発祥とする訳ですね。そしてこのモンペリエ大学で医学を学んだのがノストラダムスでした。
今回は大学の仕事じゃありませんが。高校です。
とはいってもこっちの高校って、選択科目が結構あったり、その科目の選択によって空き時間がぽっかりできちゃったりとか、日本の感覚では大学に近いですね。まぁ、今の日本の大学の教養課程は旧制では高校に相当する訳ですから、似た様なもんか。
高校に入ってすぐの所にはこんなプレートが。
コレージュ・テクニック・ミシュレ校の生徒にして後に教師、抵抗運動の英雄、1944年1月ミッテルバウ・ドーラ強制収容所に連行され死亡したルネ・ドゥヴィックに捧ぐ
こういうプレート、本当にあちこちにあります。こういう職員や学生の名を記した記念碑が各学校や職場に、過去を風化させない様に、悲しみを忘れない様に、設置されてるんですね。
日本の職場や学校にこういうプレートを取り付けたらどんな反応が返って来るんだろうか。
「この悲しみも怒りも、忘れてはならない!それをガルマは死をもって我々に示してくれたのだ!我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて…」
いや、違うから。
そういえばモンペリエは普仏戦争に出征して亡くなった印象派の画家、フレデリック・バジルの出身地でもありますね。印象派の画家としてはバジルはあまり名を知られてません。それもその筈、バジルは第一回印象派展が開かれる前に普仏戦争で戦死してます。でも、バジルは印象派(当時はまだそう呼ばれてませんでしたが)の芸術家達と共に製作し、芸術を語り合い、いつか作品が世に出る事を目指した仲間であり、印象派のメンバーの一人に数えられてます。
普仏戦争とコミューンの乱が無かったら、印象派展はもう数年早く開かれていただろうと言われてますね。
もうひとり、モンペリエ出身の男の話を。ジャック・クールです。
ジャンヌ・ダルクの主君であるシャルル七世の御用商人であったジャック・クールは宮廷で使われるあらゆる物を納入していたそうですね。もともと名家で金持ちでもあった様ですが、更に大きな富を築き上げ、また国王シャルル七世に対してはほぼ無償で資金援助を行い、その代わりに国王から様々な特権を認めて貰い、それを利用して益々事業を拡大してのし上がった人です。このクールの隆盛の下、貿易の拠点としてモンペリエの町も栄えます。モンペリエの町は繁栄を続けますが、クールはその躍進振りが周囲の反感を買い、彼に恨みを持つ人達から訴えられて、裁判の結果、財産没収、投獄の憂き目を見る訳ですが。
おっさんが見付けたのは銅像でしたが、どこかに石像もあるらしいですね。
さて、更に町を散策、といえばおっさんが目指す物は決まってますね。前もってチェックしてありましたよ。サン・ピエール聖堂です。
パリのノートル・ダムにも似た正面に、二つの丸い塔がついてるのがここの特徴なんですがね。残念ながら修復工事中の様です。中に入ってみたらミサの真っ最中で、これまた残念ながら、あちこち写真を撮って回る事もできませんでした。取りあえずお祈りの邪魔にならない程度に、ちょっとだけ。
ま、しょうがないですね。お祈りの人達に混じって席について、じっくり眺められただけでも良しとしましょうか。
聖堂を出て少し離れた所を、ベーダーちゃんがひっそりと侵略してました。
随分遠慮深いじゃないか。
さて、おっさんは更に街歩きを続ける訳ですが、この辺でちょっと一息。続く。
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