2011年3月27日日曜日

水と安全はタダではない。

地震、津波、原発、食料不足と来て今度は水ですか。一体どうなってしまうんでしょうか。特に日本は安心して水道水が飲める国であっただけに、その水道水に問題があったら一気に困ってしまいますね。

パリは昔から水の事では苦労して来た所です。
パリの町は、ケルト系のパリシー族が紀元前250年頃からシテ島に住み着いたのが始まりと言われています。その後の研究では、初期の集落はシテ島でなく現在のパリの西郊外にあったとも言われますが。何にせよ、セーヌ川の水運はパリの大動脈でした。その後ローマ人の侵入やゲルマン民族大移動を経て、パリの町は更に発展を遂げる訳ですが…

町の規模が大きくなるにつれ、生活インフラの整備が大変になって来ます。都市の人々の水の確保も大きな課題でした。水源と言えば?目の前にありましたね、セーヌ川。しかし…昔のパリの人々にとって、セーヌ川は輸送手段であったと同時に、ゴミ捨て場でもありました。ゴミをセーヌ川に普通に捨てていましたし、市場の商人は腐って売り物にならなくなった食料品までセーヌ川に放り込んでいました。そんな所から汲み上げた水なんか飲んで大丈夫?と思いますが、セーヌ川から水を汲み上げて売っていた「水屋」さん達は、飲んだ人がお腹をこわさないよう、水に酢を混ぜていたそうですね。酸によって殺菌されるんでしょうか。
昔の水道局のマークは水桶を天秤棒で担いだ「水屋」さんのイラストでした。

時代が進めば、上下水道も整備されて来ますし、かつてパリの大動脈であった水運の方も、陸上輸送が発達するにつれ廃れて行きます。それでも、現在でもパリの町の紋章は船のデザインで、パリ市が発行する公式文書のレターヘッドや、町の施設等、船のマークだらけです。
最近パリのあちこちにできた貸し自転車「ヴェリブ」の貸出機についているエンブレム。
これはちょっと変わってますけど、パリ南東のイタリー広場の近く、サン・マルセル大通りにある学校の入り口。

で、飲み水の話に戻りますが、パリの町で時々見かけるかつての水飲み場(?)があります。ロンドンのウォレス・コレクションのオーナー、サー・リチャード・ウォレスが普仏戦争後パリの町にプレゼントしたワラス(ウォレスの仏語読み)の噴水ですね。

普仏戦争からパリ・コミューンの乱の頃のパリの町はひどい状態で、パリの街は包囲され、兵糧攻めにあい、食べられる物なら何でも、犬や鼠まで食べたんだとか。当然水も不足していた訳ですが、これを見かねてパリ市民の為にウォレス卿が水場を造ったのでした。ウォレスさんはパリ西部、ブローニュの森にあるバガテルの館と庭園の所有者でしたし、ロンドンのウォレス・コレクションはパリのジャックマール・アンドレ美術館やニューヨークのフリック・コレクションの様な、美術品コレクターの館と収集品がそのままの形で見られる美術館として有名ですね。

で、このワラスの噴水とはかなり趣が違いますけど、新しいタイプの「噴水」がノートルダム寺院の前に立ってました。一見何の変哲も無い水飲み場ですが、角度を変えてみると女性の立ち姿になっていて、何だか水芸(古いですねぇ)をしている様にも見えますね。
デザインは新しいですけど、この水芸(?)の噴水の緑の色の感じや塗装の肌がワラスの噴水をほぼ踏襲している所に、新しい物も取り入れつつ、古い物も大切にするというフランスのスタイルが伺えるんじゃないでしょうか。スクラップ&ビルド方式の日本にも、よく探せばこんな新と旧のハーモニーが見つかるでしょうか。

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