昨日更新をしなかったのは、決して、結婚記念日について書く事に躊躇があったとか、そういう訳ではありません。(今、うっかりarimasu、とタイプミスをしてしまったのですが、本当に、単なる、うっかりタイプミスなんですが、こういうのもフロイト先生に言わせると潜在意識の為せる業なんでしょうね。そう考えると初期の精神分析があれだけ嫌われたのも分かる様な気がします。)
という訳で、昨日おっさんと家内の結婚記念日だったよ、と杏村から便りが届くのですよ。(いや、忙しくて忘れてたって意味じゃありませんよ。)
20年。そして一番上の娘は19歳。計算は合ってますね、ってかそれはさて置き。紙だの藁だのから、やっと陶磁器にまでなった訳です。金・銀・ダイヤまではまだまだ長いですね。
まぁ、結婚記念日に花束を買って帰ったら、「あれ、今日はなんかの日?誰かの誕生日だっけ?」などとボケをかます家内ですから、(しかも、どうも天然だったらしい)結婚記念日ネタを書かなかったからと言って怒りゃしないでしょうが、やっぱりねぇ。書かないというのもなんですし。
結婚20年、こういう女房で良かったと思ってますし
地震・原発事故、それに伴う経済の更なる沈滞等々、何だかここ数年は更に厳しくなりそうでさえありますが、30周年、40周年を迎えた時、「20周年の頃は大変だったよねー」などと言っていられる様な夫婦でありたいと思って居ります。はい。
そう言えば某裁判所内には「○○裁判所恐妻組合」なるものがあったそうですね。(Oさん御夫妻、お元気でしょうか。)
以前、なんでそういう話になったのかは覚えてませんが、娘と「バカップル」の話になりまして、
娘 「お父さんとお母さんも…?」
おっさん 「うん、若い頃なんかはやっぱりねぇ。相当に…」
娘 「今も現役だと思う」
とやら。
しかしまた、結婚記念日に限らず、何かの記念の日というのは、またこの日を迎える事ができたという反面、もうそんなに経つのかと、それだけ齢をとったのかと、改めて考えますねぇ。
門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし 一休禅師
一休禅師といえば、例の「親死ぬ 子死ぬ 孫死ぬ」もありますが、これ、一休禅師と仙厓和尚に同じ話が伝わってますね。色々調べてもどっちが本当なのかよく分からないんですが。序でに言えば一茶にも
親が死ぬ子が死ぬ後に孫が死ぬ
がありますね。
まぁ、時代的には
一休禅師 1394-1481
仙厓和尚 1750-1837
小林一茶 1763-1828
ですから、一休禅師の言葉を仙厓和尚や一茶が引用した、ということなんでしょうかね。それとも後世に加わった伝説なんでしょうか。
話の内容は共通ですが。人から「何か目出度い事を書いて下さい」と頼まれて、書いたのがこれ。目出度いどころか縁起でもない、と依頼主が怒ったら、「これが本来の順番。目出度い事じゃないか。順番が逆だったらどうなるか考えてごらん」と答えた、という話。さて、おっさんは目出度く孫の顔を見てから死ねるでしょうかね。
すみません、MSNニュースから拾った映像、使わせて頂きます。イタリア(だったと思う)の遺跡から発掘された「カップル」。
どういう経緯で二人で葬られたのかは判明していない様ですが、おっさんとしては家内とこんな風に時を越えて一緒に居たいものです。
おまえ百までわしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで
家内は若白髪ですし、おっさんはかなり禿げ上がりまして、そのうち白髪も生え様が無くなるかも知れませんが。
松の双葉は肖りものよ 枯れて落ちても夫婦連れ
ホントに。枯れて落ちても宜しく。
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