2011年3月14日月曜日

なんなんだ

さて、サッカーを観戦して参りました。リーグ1のPSG-Montpellier。まぁ、仕事でなんですがね。

仕事とあらばサッカーでも野球でも、囲碁クラブだろうが俳句の会だろうが行くんですが。
俳句と言えば(突然話が飛びますが。いや、先日、日本の方から貰った雑誌に、かねて読みたいと思ってた本の事が書いてあったもんで、つい。)
滋酔郎こと江國 滋氏の作。

残寒やこの俺がこの俺が癌 

から

おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒

に至る過程というのは凄まじい葛藤だったのか、穏やかな移行だったのか…?闘病記を読みゃ分かるだろ、とは突っ込まないでください。闘病記のタイトルになっているこの句だけは有名だから聞いた事あるけど、こっちで日本の本を手に入れる事はそう簡単ではないんですから。是非入手して読みたいと思ってます。

自分が病を得た時、自分はそれをどう受け止め、どう消化して行けるのか?そして自分はどうやって消えて行くのか。

考えさせられますね。いや、別におっさんは今の所どこも悪くないです。悪いのは頭だけだ、とはバカボンのパパの台詞ですが。おっさんは、先日、健康診断で、「あんたは、あと禁煙さえすれば完璧よ」と言われております。はい。いや、だからこそ、いつの日か(そしてそれは必ずやって来ます)そうなった時、というのを考えるんでしょうかね。

何でこういう方向に行くかな?性格が暗いからです。はい。いや、大事な事ではあるんですけど。

とりあえずもう少し楽しい話に方向転換しましょうか。

落ちさまに虻を伏せたる椿哉 (漱石)

椿にはまだちょっと早いですけど。この句も大好きですよ。椿の花は桜の様にはらはらと散るのではなくコロッと落ちますね。(そこから打ち首みたいで縁起が悪いというので武家の庭には椿は植えなかったというのはご存知の通り。)
寺田寅彦「椿の花に宇宙を見る」には、背の高い樹から落ちた椿の花は仰向けに落ちる確立が高いが、低い樹からだとくるりと反転する間が無いからうつ伏せに落ち易いだろうし、もしそこに虻がとまっていたら、その重みでさらに反転しにくくなるからうつ伏せに落ちるだろう、という様な事が書かれてますが。








まぁ理屈としてはそうかも知れませんが、虻一匹の重さなんて知れたものだし、大体落ちようとする椿の花から脱出できなくてとっ捕まったなんてドジな虻もいないでしょう。
でもやっぱり楽しい句ですね。こんなことが起こったら面白いだろうな、という遊び心、既成の見方にとらわれない自由な発想、あるいは少年のような心を忘れてないと言うか。

で、サッカーは?う~ん、どうしようか。じゃ、ま、「明日に続く」って事で。本日はこれまで。何なんだ。

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