なんというタイトルだ。まぁ訳は後で分かるとしても。
一週間のご無沙汰でした…〇○〇歌のアルバム…古いなぁ。
で、この一週間更新してませんでしたが、別に病に臥してた訳でも、孤独死してた訳でもありません。エイプリルフールネタでもありません。出張です。携帯更新の設定はまだしてないのさっ。
という訳で、色々行って来ましたが、今回行った中から(唐突乍ら)ヴェルサイユのお話。
ヴェルサイユには1682年から宮廷が置かれました。子供の頃から年号の暗記は語呂合わせで乗り切って来たおっさんには有難い年号です。イロハニ。何て安直な。まぁ、良い国作ろう鎌倉幕府(1192)ってのと大差無いと思うんですけど。鎌倉幕府の成立年代は、頼朝が征夷大将軍に任命された1192よりも実際に幕府として機能し始めた1185年をとる見方の方が優勢になって来ましたけどね。幕府としての基本法である御成敗式目の成立年代を取るなら1232年になっちゃいますし。さて、実際の機能、正式な将軍任命、基本法の成立、何をもって正式な幕府と呼べるのか…?はさて置き、ヴェルサイユ宮殿を造らせたのが「太陽王」ルイ14世ですね。
ルイ14世がヴェルサイユに都を移した理由は幾つか挙げられますが、まずはルイ14世のパリ嫌い、及びその原因となったフロンドの乱がありますね。
この時代に進められた王権強化政策に対する、高等法院に勢力を持つ法服貴族(金で官位を買い、更に世襲化された元市民の貴族)達の反発、三十年戦争や仏西戦争の戦費調達の為の増税に反発する市民、またはそういう混乱に乗じて暴れたいだけの市民、硬直した宗教政策による新旧教の対立、イタリア出身の宰相マザランや、スペイン出身の母后・摂政アンヌに対する、「外国人に好き勝手させるな」という反発、地方の帯剣貴族(元々の武家出身の貴族)達の不満、お隣のイギリスで起こった市民革命(ピューリタン革命)の影響等々、いろんな要素がごっちゃになって、反乱が起こり、幼少のルイ14世はパリが大嫌いになってしまいました。散々怖い思いしたんだから当然ですが。
そして1661年、大蔵卿フーケのヴォー・ル・ヴィコント城の完成パーティー。フーケは元々金持ちの家柄でもあった様ですが、更に出世街道を突っ走り、「どこまでも上る」リスを家紋にしていた位でした。そして、この年、建築にはル・ヴォー、庭園設計にル・ノートル、室内装飾にル・ブランを起用して建てた城が完成すると、フーケは国王も母后も招いてパーティーを開きました。フーケとしてはご機嫌取りの積りだったんでしょうが、これが命取り。当時フランスの財政は苦しくて、国王自ら私財を国の戦費として供出していた様な時代です。この立派なお城の豪華なパーティーを見せ付けられたルイ14世は怒り心頭。「私が城を建ててもあなたは招待しない。きっと私の城なんかあなたのお気には召すまい」などと捨て台詞を吐き、後にフーケを逮捕して、追放刑の判決も王様の鶴の一声で終身刑に変更させ、結局フーケは二度とこの城を見る事は無かったのでした。
その割にはルイ14世自身がもっと凄いヴェルサイユ宮殿を造ったんですから勝手なもんです。
そして同じ1661年、宰相マザランが亡くなると、若き国王ルイ14世は親政を宣言します。すべてを国王が取り仕切る、絶対王政の完成に向けて一歩を踏み出した訳ですね。実際これ以降、すべての分野に於いてルイ14世の意見や好みが顔を出します。ヴェルサイユ宮殿もその一つで、当時フランスでは抑え気味で理性的な古典主義芸術が主流でしたが、ルイ14世の派手好みは、イタリアを中心にヨーロッパ中の流行であったバロック趣味に近いものでした。ヴェルサイユの建築にはヴォー・ル・ヴィコントの三人のスタッフがそのまま起用されましたが、室内装飾を担当したル・ブランは当時の古典主義派のリーダーだったにも拘らず、かなり自分の主義を曲げて、派手好みの国王の要求に応えてますよね。
かくしてフランス革命まで、フランスはパリとヴェルサイユ、二つの都を持つ事になります。太陽王の長い治世の時代、その曾孫ルイ15世の時代、そのまた孫のルイ16世の時代…このルイ16世と、その妃マリー・アントワネットがヴェルサイユ時代最後の住人となります。この辺は皆様も御存知の通り。
さて、ヴェルサイユ宮殿に到着すると…こんな看板が。本当に。一日も早い復興を。フランスの皆様、ありがとう。
で、入場券売り場に行ったら、いきなり力が抜けました。窓口の行列を避けて自動券売機の方に行き、画面を操作していたら、こんな指示が。
女王様の命令よっ!しばらくお待ちっ!って事でしょうか。ヴェルサイユ宮殿だけに、マリー・アントワネットあたりが言ってるんでしょうか。
まぁ、「悪ノ娘」リンちゃんに言わせたい様な気もしますが。ヤンデレモードのルカ姐さんでも似合いそうな。基本イジられキャラのミクにはあんまり合わないかもです。
そしてヒネクレたおっさんは見学コースについては語りません。百聞は一見に如かず、是非とも、実物を見に来て下さいな。どんなに説明したって実物には届きゃしませんって。
見学コースの出口の石の壁。ここを見てたら以前見たニュースを思い出しました。イタリアかどこかの世界遺産に落書きした学生の話。
自分がどこの誰か特定できる様な落書きをしたために吊るし上げを喰らって、泣いて謝罪して、修理費用の寄付を申し出て、でも先方は笑って許して、更にこの落書きした学生を親善大使に任命して、なんてニュースでした。
身元が分かるかどうかは別として、まぁ、大量の落書き(落彫り?)ですねぇ。
こういうのは世界中の名所にある物なんでしょうけど…女王様にお仕置きして貰おうか。
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