2011年4月12日火曜日

良い方にまわるな、良い方に。

このタイトルのネタが判った方は「パタリロ!」ファンでしょう、きっと。

えー、今日の昼食は、馴染みのアラブ人さんの店のチキンサンドイッチでした。前回のケバブやメルゲーズと造りは同じですけど、中身がチキン。サンドイッチの形式は決まっていて、あとは具とソースを選ぶだけ。おっさんは普段はアリサ(真っ赤な唐辛子ソース)を選ぶ事が多いですが、最近は割とケチャップ&マスタードも好きです。サムライソースなんてのもあって、一見サウザンド・アイランド・ドレッシングみたいに見えるけど、でもピリ辛のソースです。中にはケチャップ&マヨネーズなんて謎のミックスをしてる人も居ますが。
相変わらずフライドポテト大盛りですねぇ。マックに行ってもそうですけど、日本だったら例のボール紙の入れ物に小ぢんまり入れますけど、こっちのマックは入れ物からポテトが溢れてます。

で、チキンサンドを食べながらチキンについて思いを巡らせてた訳です、はい。
フランスってチキンの国なんですよね。いや、フランスは鶏肉の生産量や消費量が多いとか、フランス人がチキン(臆病者)だという意味ではありません。鶏はフランスの象徴なんです。ざっと思いつく所だけでも、例えばフランスサッカー連盟のロゴ。
大きな鶏のイラストが目立ちますけど、左上の方、わかりますか?フランスを表す六角形(フランスは国土が六角形をしているというので、ヘキサゴン=六角形とも呼ばれます。そういえばありましたねぇ、そんなクイズ番組。)の中にも居ますよ、もう一羽。

フランス人の御先祖様、ガリア人。紀元前500年頃、西ヨーロッパにケルト人が入って来ます。当時既に鉄の武器を持ち、乗馬が得意で勇猛な性格のケルト人は西ヨーロッパに浸透し、先住民族と混血してガリア地方、ガリア民族を形成します。そして紀元前52年、シーザー率いるローマ軍に破れ、ガリアはローマの属領になりました。更にこのガリア・ローマの地に四世紀頃にゲルマン民族が大移動して来る訳ですね。ゲルマン民族大移動で建国されたのがフランク王国、これが現在のフランス・ドイツ・北イタリアの素です。
御先祖様ガリア人を主人公にしたフランスの国民的漫画、アステリックス。主人公は羽の飾りの鉄兜を被ってます。
「ガリアの煙草」ゴロワーズ。これも羽の生えた鉄兜。かなりいがらっぽい煙草ですけど。
何で鶏かというと、勇猛なガリア人達は、闘鶏の勇敢な鶏を自分達のシンボルとしていたからで、ガリア人の勇猛さはローマ人達も認める所でした。(シーザーは勇猛果敢さだけでなく、ガリア人の優れた技術も高く評価していました。じゃあそんなに技術水準も高く、勇猛なガリア人が何故シーザーに敗れたか?シーザーが優れた指揮官だったという事、そしてガリア人は部族間の結びつきが弱くて統制がとれてなかったからだそうですが。)そこで、ローマ人たちはこの「ガリア人の勇猛さ」にあやかり、自分達の闘鶏の鶏を、雄ならガルス、雌ならガリナと呼びました。このガルスという言葉、現在でも鶏の学名ですね。学名ってのはラテン語ですからね。だからフランスは、シンボルマークやロゴがあっちこっち鶏だらけな訳です。

フランス語で鶏の鳴き声は「ココリコ」または「コクェリコ」ですね。イタリアでは「ココリコ」英語で「クック・ア・ドゥードゥルドゥー」ドイツでは「キケリキー」。因みにお笑いコンビの「ココリコ」さんの名前の由来は「coq au rico」という喫茶店の名前だそうですね。この「coq au rico」という言葉は色々調べてみても意味がわかりません。鶏の鳴き声はフランス語では大抵COCORICOと表記するんですが。鶏の鳴き声の別の表記の仕方なのか、何か別の言葉なのか。どうなんでしょう。
序に言うと、おっさんとしては、鶏の鳴き声の表現で一番好きなのは「東天紅」ですねぇ。まぁ、観賞用の(というか天然記念物でもある長鳴鶏の)東天紅鶏に限らず、江戸時代位には鶏の鳴き声を一般に「東天紅」と表現してた様です。東の天が紅い、とは夜明けを告げる鶏の鳴き声としてはぴったりじゃないですか。

おっさんは高校位まで、神奈川県で育ちました。神奈川というと「横浜ですか?」とか聞かれることも多いですが、いえいえ、そんな都会じゃなく、どっちかといえば、「喜劇 駅前団地」みたいな所でした。思えばあの森繁、伴淳、フランキーのおっさんトリオの映画「駅前シリーズ」も40~50年前の話なんですねぇ。子供の頃、母に連れられて東京の祖父の家へ行った帰り、遅くなってしまって、家の近くの駅まで行く電車はもう終了、二つか三つ手前の駅からタクシーに乗るしか無い。で、その急行停車駅を一歩出たとたん、周りには何もない、そして灯り一つ見えない空間が広がってたのを覚えてます。(今は立派な町になってますよ、勿論。あくまでおっさんが子供の頃の話です)で、その辺りは養鶏でも有名な地方だったんですね。子供の頃、自転車で遊びに行ける範囲ですからたかが知れてる筈ですが、結構周りに養鶏場がありました。臭いは凄かったですが、鳴き声の方はあまり印象にありませんね。まぁ、養鶏場ですから雌鶏が主だったんでしょうし、雄鶏がいたとしても、雄鶏が夜明けを告げる声を上げる様な時間まで遊び歩いてる不良じゃ無かったって事ですよ。

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