2011年4月16日土曜日

良い男になるのも大変だ。

しまった。
昨日の記事を読み返してたら、新たな脱線の選択肢を得てしまった。脱線の選択肢って変な言葉ですけど。
で、昨日、音楽の喚起力と書いた時点でイメージしてたのは、例えば「エレンの歌第三番」、所謂シューベルトのアヴェ・マリアを聴いた時にイメージするものと、ワグナーの「ワルキューレ」第三幕の冒頭、「ワルキューレの騎行」を聴いて思い浮かべるものとの違い、といったものだったんですがね。まぁ、どうしても、アヴェ・マリアといえばディズニーの「ファンタジア」や、しかづきさんのアヴェ・マリアシリーズに連想が向いたり、ワルキューレと言えばすぐに「地獄の黙示録」やバイロイトの劇場建築を思い出してしまう、というのは仕方の無い事ですけど。

で、今日になって、「音楽の喚起力」から連想してしまったのは「鉄砲玉の美学」でありました。この映画は、義理・人情の立派な「侠客」、格好良い任侠物に限界を感じた中島貞夫監督が、ATG(監督の自由裁量がかなり認められていた)で、敢えて「格好悪い」チンピラを主役にして撮った作品ですね。渋いオジサマ振りからは想像もつかない、若き日の渡瀬恒彦が「美学」なんか何も無い、ただ状況に流されるチンピラを好演しとります。長い事埋もれてたこの作品も今ではアマゾンなんかにも出てますねぇ。そして中島監督は、深作欣二監督の「仁義無き戦い」と共に、東映実録ヤクザ映画時代を拓くのですね。

冒頭、いきなり流れ出す頭脳警察の名曲「ふざけるんじゃねえよ」。ヤクザ映画とロックという組み合わせも当時珍しかった事もあり、強烈な歌詞とも相俟って、一体何が始まるのかと、まず驚かされますね。まぁ、おっさんは頭脳警察が元々好きですから、(出会ったのは学生の頃…だから30年前だなぁ…)そっちに惹かれてこの映画を知ったんですけど。

そしてパンタのボーカルに被るのは、まさに「豚ども!」と言いたくなる様な飽食・飽食・飽食の映像。で、やっぱりヒネクレたおっさんは詳しくストーリーとか追いませんけど(ここではストーリーあんまり関係無いしね)、ラスト近く、銃弾を喰らった主人公の清が逃げるシーン。ここでもやっぱり「ふざけるんじゃねえよ」。そして走り続ける清の周りに流れる平凡な日常。嘗て、この平凡な日常を嫌悪し、鉄砲玉にも二つ返事で志願した清は、今、それを永久に失った事を知るのですね。冒頭で「この作品は普通じゃないぞ」と宣言し、ラストでは「どうしてこんな事になっちまったんだろう」と考えさせる。(パンタは平凡な日常を嫌悪し続けますが。)この曲を選び、こういう使い方をした中島監督のセンスもさる事ながら、やっぱり、頭脳警察の音楽が凄い!(まぁ、「従兄弟の結婚式」とか、底に流れるトーンそのものは共通ながら、かなりユーモラスに歌ってる曲なんかもありますが…)
音楽と映像の喚起力の競演というか相乗効果というか。

しかし、この「鉄砲玉の美学」などという、何か己の生き方の美学に殉じる、凄くストイックな主人公が出て来るんじゃないかと思わせる様なタイトルと、実際出てくる、冴えないヘタレ主人公のギャップは、「イージー・ライダー」を思わせますねぇ。「自由」を求め、自分のやり方を、スタイルを貫くキャプテン・アメリカは格好良いし、それはそれで大切な事ではありますけど、結局彼は社会のはみ出し者であり、麻薬に現を抜かしてるんですよね。(ピーター・フォンダは後に、「この映画で吸ってるのは本物のマリファナだ」と言ってます。)そして、そういう人物を受け入れる事のできない硬直した、殺伐とした社会。何が正しくて何が間違っているのか?
「イージー・ライダー」という言葉は「売春婦を囲っている男」と言う程の意味なんだとか。「自由」を求めた筈のキャプテン・アメリカが得た物は、瀕死の、イージーライドにも似た儚い自由の幻想でしかなかったって事でしょうか。それは彼のせいなのか?それともそれを許そうとしない社会のせい?

嘗て、これまた名曲「卒業」で、尾崎豊は「これからは何が俺を縛り付けるだろう?あと何度自分自身卒業すれば本当の自分に辿り着けるだろう?」と歌いました。そして、「この支配からの卒業」と言う歌詞に、「何にそんなに支配されていると、縛り付けられていると思うんですか?」「何からそんなに自由になりたいんですか?」と無邪気に問うて来るイマドキの若者。

はぁ。この辺で止めときましょうか。それでなくても性格が暗いのに、更に落ち込みそうだ。
で、「鉄砲玉の美学」に戻りますけど、この男、清には「鉄砲玉の美学」なんか欠片も無い。でも、男の美学はあったと思ってます。自分が死を迎えると悟った時、彼は愛した女、潤子と一緒に行こうと約束した地、雲仙に向かうバスに乗り、そこで息絶えます。男って、意外とこういう事覚えてるもんですよ。夢想家とでも、未練がましいとでも、何とでも言うが良い。

「良い男とは、妻や恋人の、誕生日は覚えているが、齢は覚えていない男である」と、これは何の台詞だったか覚えてませんが。いい男でいるのも楽じゃありませんね。
おっさんは、良い男に、なれますかね、いつの日か。
ここまで書いて、結果的には昨日の記事にシンクロしてたんじゃないかと改めて思ったおっさんでありました。「僕と妻の1778の物語」とか、「酔いが醒めたらうちへ帰ろう」とかの世界に入る事ができるのか、それとも「星守る犬」のお父さんの様に朽ち果てるのか。
「星守る犬」の登場人物は、悲惨な筈なのに、全く悲壮感を感じさせませんね。うわ、ここでまた、一面真っ黄色の向日葵畑が浮かんで来ました。一面真っ黄色の菜の花畑とも、シンクロ、してるかなぁ。

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