2013年1月12日土曜日

そう来たか。

今度は画像がうpできなくなっちまったぜ。色々と起こりますなぁ。
何とかできないかと色々やってみたけど駄目だったので、諦めて今回は画像が無くても何とかなる話。
先日「黒子」→「北斗の拳」というのを書きましたけど、今度は「犬夜叉」→「北斗の拳」説です。

「北斗の拳」(毎回こればっかりで申し訳ありませんが。ひでぶっ。)連載当初の構想は、シンを倒してユリアを取り戻す所までではなかったかと思うのですね。そして人気が出て連載を続ける事が決まってからサザンクロス編以降の新しいストーリーを膨らませて行ったのではないかと。
だから後から水鳥拳、鳳凰拳、紅鶴拳、白鷺拳等々、南斗聖拳の色々な分派の名称が出て来るのに、シンに関してだけは「南斗聖拳」としか書かれてないんだろうと考えるのですよ。(ゲーム版になってから「孤鷲拳」の名が後付けされますけどね。)

で、元々の「北斗の拳」が、宿敵シンを倒し、ユリアを取り戻すというストーリーだったとすれば(結局最後はラオウを倒してユリアを取り戻すんだから同じ事か?)、宿敵奈落(と四魂の玉)を倒す事によって、桔梗の生まれ変わりであり、現代と戦国時代の間で揺れ動くかごめが完全に戦国時代の人間になって犬夜叉の元に来てハッピーエンドという「犬夜叉」のストーリーの原型になってておかしくないし。
何よりシンの最期の台詞「俺が欲しい物はたった一つ、ユリアだーっ!」と、奈落の最期の台詞、「本当の望みだと?そうだ、は只、桔梗の心が欲しかった…」(生まれ変わりで本質的には同一人物とは言え、「犬夜叉」にはヒロインが二人いるんだからこの食い違いはしょうがないですよね)の読後感の類似、とでも言いましょうか。

犬夜叉が使う「鉄砕牙」も、斬った敵の妖力(というか能力)を吸収する刀だし。これまた北斗神拳奥義「水影心」じゃないか。

もう一つ。「目の前で家族を野盗に殺され、ショックで言葉を失った『りん』という少女」、これなんか、高橋留美子さんからの「北斗の拳」へのオマージュなんじゃないか?とか思いますし。
更に「北斗の拳」の「リン」が実は先代天帝の娘だった様に、「犬夜叉」の「りん」も「かごめの様に暖かい」、つまりはヒロインにも匹敵する器を持った人物であったりする訳ですねぇ。

高橋留美子さん、やっぱり「北斗の拳」のファンだったんだろうか。

どうも、若い頃哲学なんぞというモノをやっていたからなのか、色々比較してみるのが好きなおっさんであります。そう言えば「神」と「仏」って、演繹と帰納の違いであって本質は同じじゃないか?なんていう変な卒論を書いたなぁ。無謀な試みだ。あれでよく卒業できたもんだ。というか、これっておかしなコラージュ宗教にハマっててもおかしくない様な話ですよね。クワバラクワバラ。

所で「クワバラクワバラ」というのは、菅原道真公が死後に雷神となり、朝廷に祟りを為した時、菅公の領地であった「桑原」には雷が落ちなかったので、雷避けのまじないとしてそう唱えたのだそうですね。それから雷に限らず何か怖い物から逃れる、或いは避けたい時にそう唱える様になったのだとか。

因みに「幽遊白書」の「桑原」君は、主人公「浦飯幽助」的なネーミングセンスで「桑原」なのかと思ったら、当時話題の野球選手であった「桑田」と「清原」を合わせて「桑原」だったんですってね。

だから何?

ふむ。角川アニメ版「時を駆ける少女」で、真琴が「千昭、千昭…」と呼びながら千昭を追いかけるシーンなんか、1952年のルネ・クレマン監督の映画「禁じられた遊び」で「ミシェル、ミシェル…」と呼びながらミシェルを探すポーレットを思わせますなぁ…

だから何?

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