2013年1月18日金曜日

「エ・アロール?」

なんていうドラマがありましたねぇ。

「Et alors?」

言葉の意味は「それで?」「だから何?」といった感じです。渡辺淳一さんの小説のタイトルで有名になった言葉ですね。フランスのミッテラン元大統領に隠し子疑惑が待ちあがった時、元大統領が言った言葉です。

二股・隠し子をスクープされたミヤネ屋さんは神妙な顔で「すべて事実です、お騒がせしてすみません」とか言ってたそうですが、ここで「それで?」「だから?」なんて言ったらどうなるのでしょう
かね。

「エ・アロール?」と言ったかどうかは存じませんが、フランス史上有名な隠し子疑惑といえばやっぱりこの人?


ロマン派画家の代名詞、「印象派はドラクロワのモロッコ旅行から始まった」と言われるウージューヌ・ドラクロワの本当の父親はこのタレーランではないかと言われてますねぇ。

ドラクロワといえば日本ではドラゴン・アッシュのサードアルバムのジャケットで有名ですかね。
まだヨーロッパ通貨がユーロで統一されておらず、各国それぞれの通貨を使っていた時代、百フランスフラン札はドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」と「自画像」の図柄でして、日本から来た人をルーブル美術館に連れて行って、ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」の前で「この絵が百フランの絵です」と言ったら、その人は「え、これが百フランなんですか?」とキョトンとしてました。こんな物百フランで売ってる訳無かろう?

フランス革命後期の指導者の一人タレーラン(本当は長い名前なんですねぇ、シャルル・モーリス・ド・タレーラン・ぺリゴール。)はナポレオン戦争後の「会議は踊る」ウィーン会議のフランス代表を務め、王政を復活させた人ですね。革命後の時代、国際的に統一された度量衡を定めるべきだとしてメートル法を提唱した人でもあります。

そのタレーランが1812年から1838年まで住んでいたというのがここ、コンコルド広場からすぐの所にある、現在は「タレーラン館」と呼ばれている建物。


いや、ノアイユ館とかも凄いですけど(2011/10/17参照)、タレーランさん、こんなとこに住んでたのかいな。

で、このタレーラン館にはもう一つ歴史がありまして、


英語版の方、ピンボケですみません、でも取りあえず読めるので翻訳は省略。
マーシャル・プランについては2012/03/05の記事を御覧頂きましょうか、ってかプランそのものについてはほとんど書いてませんが。戦争で荒れ、疲弊したヨーロッパを「飢え、貧困、絶望、混沌」から救う為、アメリカのマーシャル国務長官が大規模な対ヨーロッパ援助を発表したのですね。

まぁ、国際政治上の事ですからね、綺麗事ばっかりじゃない訳ですが。このプランによってアメリカ企業はヨーロッパ市場に大々的に売り込みをかける大義名分ができた訳ですし、この復興策には東ドイツは入っていなかった(西ドイツは入っていた)事でも分かる通り、東西ヨーロッパ間の分裂は深まってしまいましたよね。

勿論アメリカは多額の無償援助もしてます。

なんか、おっさんとしてはこの「マーシャル・プラン」って、嘗ての「ニュー・ディール政策」をヨーロッパに持って来た、みたいなイメージがあるんですけどね。

ところで「ニュー・ディール政策」といえば所謂「ハネムーン期間」「百日ルール」の起源でもあります。
このところ日本の政権交代の御祝儀相場だか、円相場が落ち着いて来てますね。さて第2次安倍内閣、この百日間で何をするんでしょうか?

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