2011年7月22日金曜日

ケベック広場から。

さて、今日はサン・ジェルマン・デ・プレのお散歩です。

「プレ」とは野原の事です。6世紀、聖人のジェルマンさん(日本語なら「ゲルマニクス」さんですが)が、ここにあった修道院に葬られたので、「野原のサンジェルマン」つまり「サン・ジェルマン・デ・プレ」になったとか。つまりその当時はこの辺は何もない野原だった訳ですね。

で、サン・ジェルマン・デ・プレというと、やっぱりその修道院を起源とするこの教会を誰しもが思い浮かべると思いますが。


教会についてはまた今度。ひねくれてますから。で、教会の手前で地面が盛り上がってるのがシャルル・ドードラン作の「Embacle」というオブジェなんですが。中が噴水(?)みたいになってます。


サン・ジェルマン・デ・プレ教会の前の交差点は「ケベック広場」といって、カナダのフランス語圏であるケベック州に捧げられてますので、こんなオブジェも造られるんでしょうね。「Embacle」というのは、カナダとか寒い地方で、川の水が凍った氷の欠片がどんどん詰まって川の流れを堰き止めてしまい、氷の塊ができる現象ですね。
下手をすると上流に洪水を引き起こしたり、下流に鉄砲水を引き起こしたりするので、場合によっては氷の塊をダイナマイトで爆破して、水流を確保するんだとか。
この現象をケベック州の象徴として、「ケベック広場」に飾ったオブジェという訳です。

普段気にもかけない所にも、いろんな物が隠れてるもんですね。

他にもサン・ジェルマンには、ルイ・ヴィトンサン・ジェルマン店のまん前にザッキンの彫刻とか、


教会の脇の小公園にはピカソ作のアポリネール像とか、


いろいろ面白いものがありますよ。アポリネール像がある小公園のすぐ近く、「アポリネール通り」があります。19世紀にこの通りができた時には「修道院通り」という名前だったんだそうですが、1951年、この通りを詩人アポリネールに捧げる事になり、改名されました。そのオープン式典の時には俳優ピエール・フレネがアポリネールの詩を朗読したそうです。


ま、アポリネールさんについては3/25にもちょっとだけ書きましたけど。なかなか怪しげな詩人さんですねぇ。ピカソとも親交があったとか。

成程。こういう「通りの名前の由来」なんてのも、いろいろ探ってみると面白いかも知れませんね。調べてみるか。

2011年7月21日木曜日

やっぱりこうなるか。

さて、7/9に書いた「修道院のお店」にまた行く機会があったので、改めて品揃えを見てみたんですが、やっぱり「ベネディクテイン」はありませんでした。

店の人に聞いてみたら、「『ベネディクテイン』はベネディクト派のものだから…うちは違うから。」との事でして。「コカコーラみたいなものよ。」と。

ハハハ、成程。「シャルトリューズ」があった時点で気付くべきでしたね。「シャルトリューズ」があるという事はここはカルトジオ派の修道院ショップであって、ベネディクト派の物は守備範囲外という訳ですね。コカコーラ社の直営ショップに行ってもペプシコーラは置いてありませんねぇ、そりゃ。マダム、なかなか上手い喩えですよ。座布団一枚。

このコカコーラとぺプシコーラの鍔迫り合いもなかなか凄いですね。
もうかなり前の話になりますが、ペプシがかなり挑発的なTVCMを流した事がありました。

ハマーのステージ編:ラップとストリートスタイルのダンスで一世を風靡したハマーが、ステージの合間に飲むコーラをペプシからコカコーラにすりかえておくと(日本で放送されたバージョンではモザイクがかかって、「他のコーラに…」になってましたが)…ハマーが突然、全然似合わないバラード、「メモリー」などを歌い出し、ファンから受け取ったペプシを飲んだ途端、元のハマーに戻って軽快にステップを踏み始める。

未来編:今から何百年後か何千年後か…考古学研究室のメンバーが発掘調査をしています。学生も教授もペプシを片手に発掘していると…「先生、こんなものが出土しました」と、学生の一人がコカコーラの瓶の化石を持って来ます。教授は何の興味も無さげに、「何の価値も無いよ、こんな物」と一言。

いやぁ、日本でこんな事をやったらえらい騒ぎになるだろうなぁ。例えばサントリーがキリンに、ソニーが東芝に、グリコが森永に、互いの主力商品をこんな風にパロディしたTVCMを流したら大問題になるんじゃないだろうか…などと考えたのも今は昔。

今は日本でも「繋がらないスマートフォンなんて意味無いですよね」なんていうTVCMも出来て、しかもご丁寧に「お父さん犬」のパロディみたいな犬まで登場してます。時代が変わったというか。

時代が変わったと言えば…

http://www.youtube.com/watch?v=vJeiMSiFLgU&feature=related

山崎ハコ「呪い」を聞いて、今の人達は…笑っちゃうんですねぇ。昔おっさんがこの歌を始めて聴いた時は鳥肌立ちましたけどね。ハコさんって、特別好きなシンガーでもなかったので、この曲に出会った時のインパクトは相当大きかったですね。
まぁ、おっさんの性格が暗いから、よりシンクロしたという事情もあるんでしょうが。

大好きです。コンコン…コンコン…コンコン…

何でこういう話になるかな。…性格が暗いからです。決まってるでしょ。

2011年7月20日水曜日

さて三日目。

そんな訳でムフタール通りを下るだけで三日もかかってしまいました。

ムフタール通りをコントルスカルプ広場とは反対側、南に下りきった所にあるのがサン・メダール教会ですね。


ちょうど教会に着いた時に結婚式をやってました。しばらく時間潰し。


ムフタールの市場あり、こんな広場ありで、広場の方にも結構お店などもあり、一通り眺めてたら、その間に結婚式の人達はもういなくなってました。

さて毎度お馴染みペール・スターク。


1163年には、サント・ジュヌヴィエーヴ修道院の宗教家が「サン・メダールの町」の礼拝堂を利用していた。現在の教会は、身廊と正面は15世紀半ば、内陣と礼拝堂群は1560-86年、側廊は1665年、オルガンケースは1647年の作になる。1561年12月、教会はプロテスタントに略奪された:所謂サン・メダール「騒動」である。1728ー32年の間は新たな「騒ぎ」…ヤンセン派の助祭・フランソワ・ド・パリの埋葬に伴い、巡礼、病人の奇跡の治癒、群集が集団催眠にかかったかの様な場面…が起こった。1732年1月27日に塗り込められ閉鎖された扉には、「王の名によって、神がこの場所で奇跡を起こす事を禁ずる」という落書きがあった。

奇跡というのは有難がられるばっかりではない様です。奇跡のおかげで大騒ぎになってしまって迷惑する事もある訳ですかね。宝くじが当たった様なものか。
宝くじが当たった途端に、今まで疎遠だった親類縁者が続々たかりに来て、とうとうノイローゼになって自殺未遂事件を起こした人がいましたね。あれはインドの話だったかな…?
まぁ、神様の奇跡をそんな事と比べちゃいけないんでしょうが。


ところで、御覧の通り、ここもまた絵画・彫刻等、見事なものですが、ペール・スタークにも、館内案内図にも、特に何も書いてなかったけど、このブログを書くために改めて資料を当たったら、バロック期の画家スルバランや、ペール・スタークにも出て来たヤンセン派とも関わりの深いフィリップ・ド・シャンパーニュの作品があるとか書いてあり…こんな人達の作品なら案内図に載せとけぇ、こらぁ!見落としちゃったじゃないか!等と叫びたくなりますが、見落とした自分が悪いので、しょうがない、後日また改めて見に行きます。あーあ。

2011年7月19日火曜日

本題に入るのに二日がかりか。

そんな訳で腹ごしらえも済み、やっと本題、ムフタール通りです。

ここは月曜を除く毎日朝市が出てますからね。パリ滞在が短い方でも朝市の雰囲気を味わいたいという時には便利です。


本当の、屋台の様な朝市が出ていなくても、昔ながらの商店の雰囲気はほとんど朝市みたいな感じです。

今時、日本でこんなローストチキンが店先で回りながら焼けてる所なんてお目にかかるんでしょうかね?子供の頃見た覚えはありますけど。


さすが、チーズも相当な種類がありますねぇ。


パン屋さん。タルトやケーキもいろいろ。


レバノン料理の店もありました。


さて、ここらで歴史の方へ行きましょうか。お馴染みペール・スタークです。


古くからの道は新石器時代からここにあり、その名の由来となったセタルデュ山に沿っていた。十七世紀にも、その名は「モン・セタール(セタール山)通り」として残っていた。1868-69年に道の半分は切り離され、古いものは16世紀末から19世紀初頭にかけて分割された住居に縁取られた、狭く曲がりくねったイタリー広場までの部分は消えて行った。Pot-de-Fer通りとの角には1671年作の泉水がある。1848年の革命(訳注:二月革命、ルイ・フィリップの立憲王政から第二共和制へと移行)の革命家達のサロンであり、第二共和制下ではダンスホールになっていた場所を示す、非常に稀な木彫の例である「古い樫の家」(69番地)や1592年の、ワイン商のユーモアの反映である「良き泉」(122番地)など、いくつかの古い看板が現存している。

なかなか凄い所ですね。
新石器時代からの道って…? 19世紀の木彫の看板って…?

そんな古くからの街ですが、このムフタール通りをずっと北上した所にあるコントルスカルプ広場ではおそらくパリで最新の商売が流行ってる様です。


マッサージ屋さんです。こんなんで本当にリラックスできるんでしょうかね。まぁ、結構お客さんは来てる様ですが。
新商売というより「珍商売」じゃないかと。

2011年7月18日月曜日

カレーの味がしない。

ムフタール通りをウロウロしてたらこんな店を見つけたので入ってみました。

丁度昼時が過ぎて店も空いてましたし。ムフタール通りの事は後回しにして食い気から始まる所が何ともはや。

「Maison des Tartes」の名の通り、タルトの専門店です。


で、食事というか軽食用のタルト一品、デザート用のタルト一品、飲み物付で8.40ユーロという事で、おっさんの好きな一桁の店ですね。


まず軽食用に「Tarte Salee」(文字通りに訳せば塩味のタルト、まぁ、お菓子のタルトじゃないという意味ですね)。
カレー風味牛肉のタルト。どんなんだ?と思いつつ試してみまして。


カレーの味、仄か過ぎません?別に不味いという意味じゃありませんけど。まぁその奥ゆかしい所が良いんでしょうかね。一般的に、おフランス人さん達はスパイシーなのは苦手ですし。

デザートの方は定番ですね、タルト・タタン。焼き林檎のタルトです。


チョイスも定番ですが、味の方も定番でした。伝統の味。

ところで、写真にもある様に、タルトにスプーンという組み合わせなんですが。日本ではあまり見ないんじゃないでしょうか。日本だったらやっぱりフォークとナイフが出て来るんじゃないかと。こっちでは普通なんですけどね。

日本から来た人と食事をして、たまたまこういうタルト+スプーンが出て来ると、戸惑う人が多いです。「これ、どうやって食べるんですか?」なんて聞かれた事もあります。
簡単なんですけどね。まずはスプーンをナイフのように持って、スプーンの頭の部分をタルトの上に置きます。あとはスプーンの丸みに合わせて、シーソーの要領で前後に揺らすだけなんですが。

実際にやって見せても、やっぱりスプーンの先っぽで一生懸命つついて切ってる人もいて。
スプーンがカチカチ音をたてて皿に当たってますよー。まぁいいんですけど。そんなにつつきまくったら、手元が狂ってタルトが飛んでっちゃうんじゃないか?と思う位に力が入ってる人もいましたね。
「プリティー・ウーマン」のエスカルゴ(7/14の記事参照)のタルト版ですかね。

Maison des Tartes 67,rue Mouffetard 75005 Paris