2011年5月6日金曜日

当年とって33歳ですか。

さて本日は久々のインベーダーハンターです。

スペースインベーダーの出現は1978年ですねぇ。おっさんは中学生でしたが。その後この手のシューティングゲームとしてはギャラクシアン(79)、ギャラガ(81)、ゼビウス(83)、ギャプラス(84)あたりまでやりましたかね。
いまだに世界中あちこちにこういうインベーダーちゃん達がいるというのも凄いですね。ひょっとして日本発のキャラクターの中で一番有名になった例かも知れません。
パリ15区、オーギュスト・ドルシャン通りとジョセフ・リウヴィル通りの交差点を侵略するベーダーちゃん。グーグルマップには出てませんから、そんなに古い物ではありませんね。

同じく15区、ラモット・ピケ駅前を侵略。

そう言えば、さだまさし「パンプキンパイとシナモンティー」、所謂青春グラフィティーみたいな曲ですが、いろいろ歌詞を書き続けていくうちに、インベーダーゲームも出て来たんだとか。その後あまりに長い歌詞を整理した時に、インベーダーの部分も含めかなり削除されたと聞いた事がありますが、どうなんでしょう。まぁ、まっさんは52年生まれですから、学生の頃ゲーセンに入り浸ったという世代ではないでしょうが。

パリ17区、ローム通りとルジェンドル通りの交差点。挟み撃ちで侵略して来てますねぇ。クスクス屋さんに立ち寄ったベーダーちゃん、お腹が減ったんでしょうか。そういえばクスクスの事まだ書いてないな。あんだけ好物なのに。今度書こう。

ローム(ローマのフランス語読み)通り周辺は「ユーロップ(同ヨーロッパ)地区」と呼ばれて、地下鉄にも「ユーロップ」駅が有りますし、他にもロンドル(同ロンドン)通りとかアムステルダム通りとかモスクー(同モスクワ)通りとか、ヨーロッパの都市の名前の通りがたくさんあります。

インベーダーゲームが流行り過ぎて百円玉が不足して追加発行されたとか、大量の百円玉を運ぶのでゲーセンの集金人さんに腰痛が激増したとか、集金トラックに電動リフトがついたとか、トラックのサスペンションが百円玉の重みでひん曲がったとか、いろいろと伝説を残したインベーダーゲームですが、まだまだ頑張ってますねぇ。ま、これからもちまちまと紹介して行きます。

2011年5月5日木曜日

虞美人草・項羽と劉邦

先日フライング気味に始めてしまいましたが…やっとそういう季節ですね。
紀元前207年、秦滅亡後の中国統一を巡り覇を競った二人の英雄がいました。楚の項羽と漢の劉邦です。この「楚漢戦争」は「股潜り」の韓信による、僅か二万の兵力で三十万の趙軍を打ち破った「背水の陣」で有名ですね。その韓信をかつて召抱えていたのが項羽ですが、冷遇されていた韓信は楚を離れ漢に仕官します。この韓信の活躍により、楚軍は徐々に追い詰められて行きます。やがて完全に包囲された項羽達が立て籠もる垓下の砦の四方から、項羽の祖国である楚の国の歌を歌う声が興ります。「四面楚歌」です。砦を取り囲む漢軍の中から楚の国の歌が聞こえるという事は、楚はもう完全に漢の軍門に下ったのだと悟った項羽は、最後の宴を開き、その席で自らの無念を謡います。
 
垓下歌   項羽
  力抜山兮気蓋世 時不利兮騅不逝
  騅不逝兮可奈何 虞兮虞兮奈若何

自分は力と気概を併せ持つ豪傑であるが、時勢は私に味方せず、幾多の戦場を共に駆け抜けた名馬・騅ももう動けなくなってしまった。動けない騅をどうしたら良い?愛する虞よ、お前をどうしよう?

3,4節目の問いの答えは「どうしようも無い」です。虞というのは最後まで項羽に従った愛妾です。この「汝を如何せん」の一言には、項羽の悲壮な思いが込められています。項羽にはもう決死の突撃を試みる事しか残されていません。残された虞が敵に捕らえられたり、敵の手にかかったりするのは耐えられない項羽は、自分も決死の覚悟で戦う、お前も一緒に死んでくれと言いたかったのですね。この意味を汲んだ虞はやはり歌で答えます。

  返歌   虞美人
  漢兵己略地 四方楚歌声
  大王意気尽 賤妾何聊生

漢軍はもう完全に地を支配し、四方から楚の歌が聞こえる。お仕えしてきた大王様が意気尽きてお困りであるのに、私の様な者が何でのうのうと生き永らえる事ができるでしょう。

虞は自分がいる事が足手纏いであり、決死の突撃に出る項羽の心残りになる事を悟って自刃します。項羽もまた血路を開いて砦を脱出、一度は追撃してきた五千の敵兵を僅か28騎で打ち破りますが、最後には力尽き、やはり自害します。次の夏、垓下の砦の虞を葬った塚から咲き出た血の様に赤い花を、土地の人達は自刃した虞を哀れみ「虞美人草」と呼びました。この花が、フランスの野に咲く季節がもうすぐやって来ます。コクリコ(仏)、ポピー(英)、パパヴェロ(伊)、アマポーラ(西)、日本では…雛罌粟、ですね。

あゝ皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟 我も雛罌粟 与謝野晶子

2011年5月3日火曜日

ヘーゲルさん、こんにちは。

さて、先日、大天使の復活について書いてから、「あ~、近くにあれもあったなぁ、書かなきゃ」と気になってたものについて。

印象派発祥の地。というとどこを思い浮かべますかね。カプシーヌ大通り35番地?1874年、第一回印象派展が開かれた、写真家ナダールのアトリエがあった所?さてね。ヒネクレタおっさんは「カフェ・ゲルボワ」を挙げる訳ですが。

毎度お馴染み「ペール・スターク」に拠りますと…
1863年から、マネは彼が絵の具や筆を買っていた画材屋のヘネッキャンの店の近く、グランド・リュー・デ・バティニョル11番地(現在のアヴェニュー・ド・クリシー9番地)のカフェ・ゲルボワに熱心に通う様になった。彼の周りには、若い芸術家達のグループが形成されて行った。バジール、ドガ、ルノワール、ファンタン・ラトゥール、ピサロ、モネ、セザンヌ、そして他にも多くの芸術家がいた。彼等は毎週金曜の夜、いつも同じ場所:入り口の左の小さなテーブルに集まった。しばしば、ゾラやデュランティといった友人の作家達もこの週一回の集まりに参加した。そして、彼らは一緒に、新しい絵画の基礎を築いた。活き活きと、すっきりと、そして光に満ちた絵画。印象派が誕生した。芸術の歴史の一ページが、今はもう無くなってしまった、この地区のカフェで刻まれた。
現在ではこの場所は洋服屋さんになってます。周りはアフリカ・アラブ系の移民の人達のお店が並ぶ地区になっていて、古着屋やケバブ屋なんかもあり、楽しい界隈ですね。おっさんもよく洋服とか靴とかこの辺で物色してます。おっさんがよく出没するのはあと北駅の周辺とか、バルベス地区の「タチ」とか。そう言えば最近モントルイユの蚤の市にあんまり行ってないな。が、まぁそれはさて置き。

芸術家ってのは、いつの時代も喫茶店で芸術を語るものの様ですね。そうやって集まった若い芸術家達が1874年に開いたグループ展が、後に、歴史上「印象派展」と呼ばれる様になった訳ですが、「ペール・スターク」に名前が刻まれてる中ではバジールだけが印象派展に参加してませんね。元々裕福な家の出身だった彼は、金の力で兵役逃れをする事ができたにも拘らず、普仏戦争に出征し、戦死したのでした。バジールと共にルノワールも出征しましたし、モネやピサロはロンドンに避難しました。普仏戦争と、それに続くコミューンの乱が無ければ、第一回印象派展はもう数年早く開かれていたでしょうね。

ナポレオン三世が始めた普仏戦争がバジールを戦死させ、印象派展を遅らせることになった訳ですが、マネは、やはりナポレオン三世が開かせた「落選展」によって一躍若い芸術家達の英雄になって、印象派の先駆者の一人となったのですから、歴史ってのは皮肉なもんですね。

1860年代の英雄・先駆者をマネとするなら、1850年代の英雄・先駆者はクールベでしょう。マネの「落選展」に相当するのはクールベの「写実主義」でしょうかね。絵画表現の技法に関しては伝統的なものの中に留まりつつ、その主題の取り扱いにおいて革新的であり、既成の絵画の「約束事」をぶち壊したクールベと、決して絵画を「革新」しようなどとは思っていなかったのに、斬新な表現で「革新者」となり、印象派の若い画家たちをリードしたマネと。この対照的な二人がやがて印象派の中で一つになるのですねぇ…と書いてたら、「これって弁証法じゃん」と一人で納得してしまったおっさんでありました。

考えてみれば、バロックと古典主義、ロマン主義と新古典主義、芸術の歴史というのはある意味、弁証法的に発展して来たんじゃないかと考える訳ですが、この続きはまた今度。本日はここまで。明日も早朝から深夜まで仕事だぜ!寝よ。

2011年5月2日月曜日

日々是精進ですね。

最近、パリの街中でも随分キティちゃんを見かける様になりました。所謂オタクっぽい漫画は相当フランスにも入って来てますけど、こういうキャラクターでここまで(フランスに限らず)海外で浸透したのはキティちゃん位じゃないでしょうか。
で、そのキティちゃんですが、Hello Kittyを仏人が素直に読むと、Hは発音しないので、日本人にはどうしても「エロキチ」と聞こえます。
嘗てミッフィーちゃん(昔は「うさこちゃん」と言ってましたが)を輸入してたサンリオが、輸出に回った訳ですか。
日本のキャラクターの海外進出といえば、古くはアメリカで「鉄腕アトム」改め「アストロボーイ」が残酷、差別と問題になった事がありましたねぇ。ジャイガンダーなんてのもありました。(この辺、齢がばれますね。)アメリカに進出したボーボボ、元気でしょうか?パフィーはアニメキャラで人気でしたね。パワーレンジャー、登場人物の、ドラマの時と特撮の時の体格差が笑えました。

海外のキャラクターも、勿論新たに日本に入って来てますね。チェブラーシュカの密かなブームはもう何年前でしょうかね。以前、ロシアサッカー協会の人に、「ロシアサッカー協会のマスコットをチェブラーシュカにしてみたら?チェブがサッカーしてる図柄なんかどう?」と聞いてみたんですが、ロシア人さんから「何でチェブラーシュカなんて知ってるんだ?」と聞き返されました。日本でブームになってるなんて思いも寄らなかったんでしょうね。

フランスの子供の本コーナーで見かける「リサとガスパール」が日本であんなにブームになってるとは、割と最近まで知りませんでした。序でに言うと、フランス語では母音に挟まれた「S」の音は「Z」になりますから、「LISA」は「リザ」と発音します。
で、この「リサ」はパリのポンピドーセンターのパイプの中に住んでるという設定ですけど、これは作者のアン・グットマンが小学校の頃、授業でポンピドーセンターに行った時に受けたインパクトが記憶に残っていて、リサの住まいとして選んだんだそうですね。
ポンピドーセンターに限らずルーブル、オルセー、日本からみえた方々が、大行列も何のその、とにかく見学したい美術館。今もこういう美術館で、先生に引率された子供達をよく見かけます。日本の社会見学の感覚なんでしょうね。子供達は「ふうん…」と言う感じで何が凄いのか判っていない様子。羨ましい話ですねぇ。ここにある作品が何点かでも日本に来たら、美術館を何重にも取り巻く行列ができると言うのにね。

で、話を戻して、と。インターネットができてから、最新流行、最新情報とは行きませんけど、それでも日本の情報は随分入手し易くなりました。昔は日本がどうなってるのかを知るのが一苦労でしたね。日本から来た人が、飛行機の中で読んだ雑誌を「もう読んだから要らない」と言って置いて行ってくれたりすると、隅から隅まで読んだもんです。日本の新聞もこっちではえらく高くて、とても個人で定期購読なんかできませんしね。初期のインターネットの頃も、電話回線でしたから電話代は嵩むわ、その間電話もFAXも受けられないわで、物凄く不便でした。

以前耳にした、日本から来た人と、フランスに住んで何十年と言う人との会話。
「この近くにイタメシ屋ありませんか?」
在仏の日本人の方が、何を思ったか中華料理屋の説明を始めました。ん?と思っていたら、
「最近は日本ではイタメシって言うんですか?ウチの方では炒飯って言いますけど。」
一瞬意味が解りませんでしたが、炒飯。炒めた飯。イタメタメシ。イタメシ。あ、な~るほど。日本を離れて久しいとこういう勘違いも時々、ね。

おっさんもいつの日かそうなるんだろうか。

2011年5月1日日曜日

少年ジャンプ読者でない方々、ゴメンナサイ。

さて本日は5月1日です。フランスのこの日には二つの意味があります。

一つは鈴蘭の日。
5月1日にはフランス中あちこちで鈴蘭を売ってます。それも、普通の(特に花屋さんでもない)人達が、バケツや洗面器の水に浸けた鈴蘭を路上で売ってるんですが、「無許可営業(?)」であるにもかかわらず、警察も何も言いません。今日は野や森から鈴蘭を摘んで来て、街角で売ることは黙認というか、習慣としてOKなんですね。

5月1日の鈴蘭という風習はシャルル9世時代から始まったと言われてますね。(関係無いけどシャルル9世はエイプリルフールの起源とも言われてます。ただしあくまでも俗説であって、本当にそうかは確認されてませんが。)元々ヨーロッパには本格的な春の訪れである5月1日に春祭りをする習慣はあった様です。(イギリスでは単純明快、「メイフェア(五月祭)」ですね。)1561年、幸運のシンボルとされていた鈴蘭を贈られたシャルル9世はこれがお気に召した様で、それ以降、毎年宮廷の御婦人方に鈴蘭を贈ったんだとか。現在でも今日は大切な人の幸運を願って鈴蘭を贈る日です。

そして5月1日の前夜がヴァルプルギスの夜で、魔女がサバトを開く夜なんていわれたそうです。これはケルト時代、一年を暖期と寒期に分けたうちの暖期が始まる5月1日の春祭りの前夜ですね。そして寒期が始まる11月1日、諸聖人の日(ハロウマス)の前夜(イブ)が「ハロウィーン」ですね。

そして5月1日といえばメーデー。
こちらは1886年にアメリカで起こった、8時間労働を求めるストライキが起源ですね。当時は12時間以上の労働が当たり前だった時代で、「8時間労働、8時間休息、あと8時間は自分のやりたい事の為に使える様に」という要求を労働者達が掲げた訳ですけど。「当時はそんなに酷い労働条件だったの?」と驚くか、「今も昔も労働条件は大して変わってないな」と溜息をつくかは人によって違うんでしょうね。

ところで、このメーデーという言葉から、例によって連想がとんでもない方に飛ぶ訳です。「メイデイ」は「助けてくれ」の意味ですね。伝統的に「メイデイ」と表記しますが、英文なら「MAYDAY」、メーデー(五月の日)と同じ綴りです。「助けてくれ」の代名詞は「SOS」ですが、特に航空機の場合はSOSでなくメイデイとなるのですね。
動力飛行機による人類初飛行は1903年のライト兄弟ですが、それ以降、1906年のサントス・デュモンのヨーロッパでの初飛行、1909年のルイ・ブレリオのドーバー海峡横断飛行達成、1913年のローラン・ギャロスによる地中海横断飛行達成と、航空機はヨーロッパ、特にフランスで成長を遂げます。
そんな関係からか、航空関係の用語にはフランス語起源の物が結構あるそうですが、「メイデイ」もその一つですね。言葉の意味は単純明快、「助けに来てくれ」という事です。フランス語で「Venez,m'aider」(ヴネ・メデ)は英語にすれば「Come,help me」です。この「ヘルプ・ミー」に当たる部分「メデ」が英語風に訛って「メイデイ」。そのまんまですね。

小学生の頃でしたかね、「600万ドルの男」というアメリカのテレビドラマを日本でもやってまして、主人公のスティーブさんは航空機事故で大怪我をして、サイボーグ手術を受けて情報機関で活躍するんですね。このドラマからのスピンオフドラマが「バイオニック・ジェミー」でしたが、「ジェミー」の方が知名度は高かった様な気がします。
で、「600万ドルの男」(サイボーグ手術の費用が600万ドルかかったんだそうです)のオープニングは、スティーブさんがサイボーグになるきっかけとなった事故のシーンで、スティーブさんは「メイデイ」を発信してます。それで「助けてくれ」はSOSだけではない事を知った訳ですが、フランス語を勉強し始めて、メデ=助けてくれ、あぁ、成程と納得したおっさんでありました。

パリとシャルル・ド・ゴール空港との間辺りに、ブルジェという小さな空港があります。一般旅客用よりも、プライベートジェットなんかがよく使う空港で、「ダヴィンチコード」で、ロバート一行がイギリスに脱出した時の空港ですが、ここには航空・宇宙博物館もありまして、面白いですから、フランス旅行を計画中の方で、航空機ファン、または航空機に関係するお仕事の方は、予定に入れてみては如何でしょう。

以前この航空博物館に行った時、戦闘機展みたいなのをやってた様で、いろんな戦闘機があったんですが、展示を見ていくうちに「おや?」と思ったのでした。「だがァァァ!わがドイツの科学力はァァァ!世界一ィィィ!」てな訳で(懐かしいな)、ジェットも、ロケットも実用化したのはドイツですけど、この戦闘機展にはメッサーシュミットが無い。コメートやシュバルベはおろか、プロペラ機さえ無い。どういうこと?実物がもう現存してないんでしょうか。模型で復刻する気もないんでしょうか。まぁ、フランス人としては、占領時代の記憶から、「ドイツ軍」に対して現在でも複雑な感情を持つ事は想像できますけど、それにしても…ねぇ。航空機の発展の歴史の大きな一ページだと思うんですけど…

どういう経緯でメッサーシュミトが無かったのかはよくわかりませんが。そういう国民感情に配慮して、という事ならまぁ分からなくも無いですが、おっさんの知る限りのフランス人気質から見ると、う~ん、なんとも言えないですねぇ。
単に入れたくなかったんじゃないか?とか、単に忘れたんじゃないか?とかいう考え方も完全には否定しきれない所がフランス人さん達の楽しい所でもありますねぇ。

「ククククッ、やっぱりフランス人て、おもしれぇー!」シャリシャリ。