『バルコニーのクリスマス、燠火の復活祭』
などと訳します。
燠火とは最近余り使わない表現ですね。赤く熾った炭火の事ですが。
バルコニーでパーティーができる位にクリスマスの頃が暖かいと、逆に復活祭の頃は暖炉に火を熾す位寒くなるという意味です。
今年はまさにこれでして、クリスマス、年末年始は暖かくて、流石にコートは着てましたが手袋はほとんど要らない位でした。二月頃は寒かったですけどね。日中の最高気温がマイナスなんてのはザラで、普段はあのウールの肌触りが嫌いでマフラーなんかまず使わないおっさんが、とうとう引き出しの奥からマフラーを引っ張り出しましたよ。
三月は暖かかったんですが、復活祭の頃にはまた寒さがぶり返し、三月に仕舞い込んだ厚手のコートを改めて引っ張り出しまして。先週も寒かったけど、月曜日なんか予報では最高気温8度ですってよ。何なんだ。ネオ・ブラックゴーストが気象制御衛星を狂わせたのかと思ったぜ。
ところで復活祭といえば…昨年4/28の記事でも読み返して頂きましょうか。
イエス様の生誕を祝うクリスマス、復活を祝うイースター、この二つはキリスト教徒さんにとっては最も重要な二大イベントですね。だからこういう諺の類でも、時期を表すのに「イースター」とか「クリスマス」とかが出てくるのはありがちな話ですが、なかにはちょっと変わった言い回しもありまして、
A Paque, ou a la Trinite (復活祭にか、三位一体にか)
というのは「いつかそのうち」という意味ですが、と言うよりはむしろ「いつの日か…多分…てかまぁ駄目だろ、無理。」みたいなニュアンスですね。
Triniteはキリスト教の三位一体の教義の事ですが、これは証明不可能な命題でして、カトリック教会も、これをきちんと説明できる理論は持ち合わせておりません。
この辺は、今度は昨年7/2の記事辺りをご参照頂くって事で。
11世紀の神学者、カンタベリー大司教にしてスコラ派の始祖、アンセルムスの有名な言葉に
『Credo ut intelligam』
というのがあります。一般的には「理解するために、わたしは信じる」と訳されてますね。「信じてなきゃ理解できない様な理論は理論として成り立たない」という批判が聞こえて来そうな言葉ですが、本当はもう少し意味が深くて、どうも「私はキリスト教を信仰している、そしてその信仰はキリスト教を『理解』することを求めており、『信仰』するだけに留まらず、私の信仰するものを理解することに努めたい」という事らしいですね。
この聖人でもあるスコラ派の大学者さんが「理解したいと願う」「理解に努めたい」というレベルなんですから、おっさんがいくら考えたって解決する様な問題じゃありません。
いや、別に神学理論を証明するとか、そんな大それた事を考えてる訳じゃありません。
もう四月も後半なんだから、二日連続で雹が降る様な気候はいい加減止めにして、早く暖かくなってくれ、と言いたかっただけの事です。
暖房の電気代だけでも馬鹿にならないしね。
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