…「怪奇大作戦」?いくら何でも古過ぎるだろ。
いや、今日の話は「怪盗ガルーガルー」だし。
ところで前回、「ai」 だからと言って「愛」とは限らないし、「藍」も有り得るよなぁ、と思って締め括りの文章を書いた訳ですが、実は更に予想の斜め上を行く文字でしたな。聞けば御父上の命名だそうで。なかなか素敵な御父上じゃありませんか。
うちの子供達の名前もまぁ変わってる部類に入るんでしょうが。
それはさて置き。今日はモンマルトル繋がりでこんな物。
俳優でもあり、彫刻家でもあった(不思議な組み合わせですね)ジャン・マレ氏による「壁抜け男」の彫刻。うむ、ちゃんと壁を抜けてますなぁ。
壁抜け男の左手は、観光客がこの彫刻と握手しながら記念写真を撮るからテカテカになっております。サクレクールの祭壇の裏にあるサン・ピエール像の足みたいなもんか。いや、サン・ピエールは天国の門番で(だからサン・ピエール像は必ず鍵を持った姿で表されるのですね)、みんな「天国に入れて下さいね」と拝む為に足に触れるんですけどね。
「壁抜け男」の作者マルセル・エイメさんはモンマルトルのノルヴァン通りの先っぽにある小さな広場に面したアパートに住んでいて、現在そこはマルセル・エイメ広場という名前になっております。銅像もエイメさんの顔を模したものなんだとか。
この小説は日本語版も出てますし、劇団四季のミュージカルでも有名ですね。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A3%81%E6%8A%9C%E3%81%91%E7%94%B7-%E7%95%B0%E8%89%B2%E4%BD%9C%E5%AE%B6%E7%9F%AD%E7%AF%87%E9%9B%86-%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB-%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%83%A1/dp/4152087862
http://www.shiki.gr.jp/applause/kabenuke/index.html
劇団四季の舞台では人生賛歌の側面が強調されてる様ですが、バッドエンドと捕らえる方も多いです(唯一の救いはヒロインのイザベルが言う「私も壁の中へ!」という台詞ですね)。まぁ、読もうと思えばこのラストシーンは安部公房の「砂の女」みたいな読み方もできるかな?壁を自由に通り抜ける男と砂の壁に閉じ込められる男は対照的ですけどね。
安部公房は「鳥の様に飛び立ちたいと願う自由もあれば、巣籠って、誰からも邪魔されまいと願う自由もある。」と語ってますが…
抵抗文学としての読み方もあるそうですし、奥が深いですねぇ。と思ってたらもう一つ。
「モンマルトルに、デュティユルという名の、何の苦も無く壁を通り抜けるという特異な力を持った普通じゃない男がいた。」役所の最下層の平凡な務め人であるこの男が偶然にこの不思議な力を手にして、まずは職場で、彼を馬鹿にし、侮辱の言葉を投げつけた上司に一泡吹かせる為にこの力を使う。
そして数々の盗難事件で怪盗ガルーガルーとして名を上げた後は、今度はサンテ刑務所で、彼の脱獄をどうする事もできない所長の番だ。この囚人は脱獄して近所で昼食をとり、無邪気に所長を店に呼びつけて支払いをさせる…
しかし、この民衆の英雄を、「愛」が躓かせた。(恋人との)情熱の一夜の後、彼は壁を抜けようとして、壁の中に閉じ込められてしまう。以降、「冬の夜、ノルヴァン通りのしんとした静けさの中、」ただ画家のジャン・ポールが奏でるギターの音だけが「月の雫の様に石の中へ染み透って行く」…
マルセル・エイメの情容赦無い明晰さは、1943年に発行されたこの短編集の中で、管理され尽くした日常や現代社会の退屈の中に、魔法の杖の小さな一振りで幻想の皮肉な氾濫を突き付ける事に捧げられた。
判った様な判らない様な。つまりこのペール・スタークの解説を書いた方は、この小説を管理社会に対する反乱と見ているという事ですかね?
いろんな書評とか見ても、「これで決まり」という解釈は見当たらない。その辺、ベケットやイヨネスコと通じる所もあるんでしょうかね。エイメが1902年生まれ、ベケットが1906年、イヨネスコが1909年生まれです。
そう言えば若い頃渋谷ジァン・ジァンにイヨネスコの「授業」を見に行ったなぁ。パリのテアトル・ド・ラ・ユシェットでは今でも「授業」「禿の女歌手」を上演してるそうな。今度見に行ってみようかな。
ん?モンマルトルは?「壁抜け男」の話は?どこ行った?
2013年12月16日月曜日
2013年12月3日火曜日
Some say Love…
さて愛とは一体何なのでしょうね。
I say Love, it is a flower, and you, its only seed…
Just remember in the winter far beneath the bitter snows,
lies the seed that with sun's love in the spring, becomes the rose…
ベット・ミドラーの「the Rose」 名曲ですなぁ。しかし実際にジャニス・ジョプリンみたいな女がいたら、周りの人達はえらい目にあうでしょうな。
おそらく求め続けて行く物が恋、奪うのが恋
与え続けて行く物が愛、変わらぬ愛
だからありったけの思いをあなたに投げ続けられたらそれだけで良い
さだまさし「恋愛症候群」この人も詩人ですね。大抵のミュージシャンは「作詞」というけれど、この人の場合は「作詩」なのも頷ける。
まぁ、難しい話をするつもりはありません。単なるマクラです。
本題はこちら。
Mur des je t'aime とググれば絶対出て来ます。おっさんがモンマルトルを歩く時には大抵寄るポイントですが。
612枚のタイルに覆われた40㎡の壁一面に250の言語による311個の「愛してる」が書かれていて、これはフレデリック・バロンとクレール・キトーという二人のアーティストの作です、とパリ市観光局のHPには書いてあるのですが、
実際にはダニエル・ブローニュという人のサインも入っているぞ?誰だ?
そしてこの壁はオリビエ・ペラとダニエル・ブローニュによる個人メセナであると。あ、この寄贈主のブローニュさんが作者の方にも入ってるという事か。製作にも関わったんだろうか。
暇な時、この壁の前でこれは何語、これは何語と調べるのが結構楽しみだったりします。
これは間違い無く分かりますな。ジュテーム。フランス語です。
これも分かるけど、一部間違いもありますな。キトーさんの方が東洋の言語の表記を担当したらしいですが、やっぱり完璧ではないらしい。
ま、この「ジュテームの壁」の事は書こうと思いつつ、伸び伸びになってたんですがね。今日丁度同僚の方と食事してて「Sister Act」の話も出て来たし、そう言えばこの人の名前にも「愛」の字があったなぁ…などと思ったんで。
いや、アルファベット表記でしか見た事無いので確かな事は言えませんが…
違ってたらゴメンナサイ。
I say Love, it is a flower, and you, its only seed…
Just remember in the winter far beneath the bitter snows,
lies the seed that with sun's love in the spring, becomes the rose…
ベット・ミドラーの「the Rose」 名曲ですなぁ。しかし実際にジャニス・ジョプリンみたいな女がいたら、周りの人達はえらい目にあうでしょうな。
おそらく求め続けて行く物が恋、奪うのが恋
与え続けて行く物が愛、変わらぬ愛
だからありったけの思いをあなたに投げ続けられたらそれだけで良い
さだまさし「恋愛症候群」この人も詩人ですね。大抵のミュージシャンは「作詞」というけれど、この人の場合は「作詩」なのも頷ける。
まぁ、難しい話をするつもりはありません。単なるマクラです。
本題はこちら。
Mur des je t'aime とググれば絶対出て来ます。おっさんがモンマルトルを歩く時には大抵寄るポイントですが。
612枚のタイルに覆われた40㎡の壁一面に250の言語による311個の「愛してる」が書かれていて、これはフレデリック・バロンとクレール・キトーという二人のアーティストの作です、とパリ市観光局のHPには書いてあるのですが、
実際にはダニエル・ブローニュという人のサインも入っているぞ?誰だ?
そしてこの壁はオリビエ・ペラとダニエル・ブローニュによる個人メセナであると。あ、この寄贈主のブローニュさんが作者の方にも入ってるという事か。製作にも関わったんだろうか。
暇な時、この壁の前でこれは何語、これは何語と調べるのが結構楽しみだったりします。
これは間違い無く分かりますな。ジュテーム。フランス語です。
これも分かるけど、一部間違いもありますな。キトーさんの方が東洋の言語の表記を担当したらしいですが、やっぱり完璧ではないらしい。
英語。
イタリア語。
スペイン語。
カタロニア語。
ドイツ語。
あれ、我爱你もあったのに画像が無い。
この位は分かるけど、さっぱり分からない物もあって、これはどこで使われてる言語(文字)だ?
そしてあちこちに鏤められた赤い欠片は、現代社会において様々な形で引き裂かれてしまった「愛」を表現しており、その、ばらばらになってしまった愛をこの壁が一つにまとめるというコンセプトだそうで。
ここに来た記念に自分達の名前を書いちゃう人もいたりして。(多分。)
手話と点字でも書いてあるんですが、この点字、点字アルファベット表と照らし合わせてみても、どうも一致しないんですが?
なんか手話の下にも誰かが書き込んじゃったっぽいのがありますね。しかし「パパ愛してる」って、他に書く相手はおらんのか?
これは国際手話ですね。小指を立ててアルファベットの「I」、親指と人差し指を立てると「L」、親指と小指を立てると「Y」、「I Love You」の頭文字を全部一遍に表してるんですね。国際手話は聴覚障害者の国際的な集まりの為に特別に作られた手話ですが、実際にはアメリカ手話の方がよっぽど通じる様です。人工言語である所も、英語の方が広く使われている所も、エスペラント語みたいなもんですか。
日本手話でもアメリカ手話でも「私」「あなた」はそれぞれ自分と相手を指差しますが、「愛」「愛する」という単語は日本では左手の拳の甲を右手で撫で回す(子供にイイコイイコするみたいに)、アメリカでは両手を握り、胸の前で腕をクロスさせて抱き締める仕種をしますね。映画「Siter Act(邦題『天使にラブソングを』)」で、フィナーレの「I will Follow Him」の中で二人のシスター・マリアのデュエットからシスター・マリア・ロバートのソロに移る時、「There isn't an ocean too deep, a mountain so high it can keep, keep us away, away from his love.」の「Love」の歌詞の所でシスターがする仕種です。
フランスはちょっと違っていて、手のひら(やっぱり「掌」の方が雰囲気が出るんだが…)を胸に当て、その胸にある思いを相手に差し出す様な仕種で「愛してる」を表しますね。
てか、手話を言葉で表すのって難しいので、こんなのを御覧頂ければ一目瞭然かと。
ま、この「ジュテームの壁」の事は書こうと思いつつ、伸び伸びになってたんですがね。今日丁度同僚の方と食事してて「Sister Act」の話も出て来たし、そう言えばこの人の名前にも「愛」の字があったなぁ…などと思ったんで。
いや、アルファベット表記でしか見た事無いので確かな事は言えませんが…
違ってたらゴメンナサイ。
2013年11月18日月曜日
Sous la Pluie…
さて、引き続きやる気のないおっさんの久々の更新。今日はちょっと時間ができたからね。
で、この文章を書いてる今の時点ではそうでもないけど、ここしばらくはパリはずっと雨続きで鬱陶しかったです。
パリの街を散歩しても、エッフェル塔も雨の中。
セーヌ川も増水しまくりで、聞く所によると「観光船でパリの夜景を見ながらディナーを」という所謂「ディナー・クルーズ」の船が増水で動けず(水面と橋の間が狭くなってつっかえちゃうからね)、船でディナーはしたけど船は動かず、停泊したまんまだった、なんて事もあったんだとか。
どの位増水したかというと、
グルネル橋に立つ自由の女神像の台座の部分にある小公園(?)が水をかぶったり。まぁ、もっと凄い時は自由の女神の台座そのものにまで水が届く時もあるんですけどね。
サンルイ島の突端にある川辺の遊歩道は完全に水没してましたよ。川の中から木や街灯がにょっきり生えてたり、遊歩道に下りて行く階段も水没。こっちは上流だから増水の影響をもろに受けるんでしょうなぁ。
ルーブルの辺りも。
これじゃ船に乗れないよ。
ま、とは言えこの位で済んでるなら良い方と言わざるを得ませんね。1910年の洪水の時にはパリの町の中まで水が溢れ出して来たそうですから。
いつかも載せたと思うけど、その頃の写真。 Fluctuat nec mergitur (漂えど沈まず)がパリの標語ですけど、いや、今回は沈んじゃった、という話。
で、先日町を歩いていたらこんな物を見つけました。
「セーヌの増水 1910年 1月28日」 こんな所まで水が来たんですねぇ。
で、この文章を書いてる今の時点ではそうでもないけど、ここしばらくはパリはずっと雨続きで鬱陶しかったです。
パリの街を散歩しても、エッフェル塔も雨の中。
セーヌ川も増水しまくりで、聞く所によると「観光船でパリの夜景を見ながらディナーを」という所謂「ディナー・クルーズ」の船が増水で動けず(水面と橋の間が狭くなってつっかえちゃうからね)、船でディナーはしたけど船は動かず、停泊したまんまだった、なんて事もあったんだとか。
どの位増水したかというと、
グルネル橋に立つ自由の女神像の台座の部分にある小公園(?)が水をかぶったり。まぁ、もっと凄い時は自由の女神の台座そのものにまで水が届く時もあるんですけどね。
サンルイ島の突端にある川辺の遊歩道は完全に水没してましたよ。川の中から木や街灯がにょっきり生えてたり、遊歩道に下りて行く階段も水没。こっちは上流だから増水の影響をもろに受けるんでしょうなぁ。
ルーブルの辺りも。
これじゃ船に乗れないよ。
ま、とは言えこの位で済んでるなら良い方と言わざるを得ませんね。1910年の洪水の時にはパリの町の中まで水が溢れ出して来たそうですから。
いつかも載せたと思うけど、その頃の写真。 Fluctuat nec mergitur (漂えど沈まず)がパリの標語ですけど、いや、今回は沈んじゃった、という話。
で、先日町を歩いていたらこんな物を見つけました。
フランス農業アカデミー?何をする所だ、そりゃ?まぁ良いんですけど。で、この建物の入り口の所、分かりますか?よーく見ると…
「セーヌの増水 1910年 1月28日」 こんな所まで水が来たんですねぇ。
そりゃ船が必要になるわい。
去年、今年と増水が続きました。その前数年間は大きな増水は無かったんで、治水工事が功を奏したのかな、なんて思ってたけど、やっぱりおフランス人様は別に何も考えてなかったのね。
ま、雨が続くと鬱陶しいけど、降らなくても困るしね。
まぁ良いさ、雨の日には雨の日の楽しみ方があるさ、っと。
2013年8月31日土曜日
御無沙汰様で。
ふうむ、何だか春先になると、おっさんはその先しばらくの間やる気がガックリと落ちる様ですな。
五月病ならぬ三月病とでも名付けようか。
てな訳で久々の更新。
ま、「三月病」はさて置いて、健康状態の方は至って普通なおっさんであります。先日(と言ったって数ヶ月前だ)の健康診断でも何ともなかったしね。
前回の健康診断ではお医者さんから「あんたはあと禁煙だけすれば完璧よ」と言われまして。
で、そんな話をしたら、
ある知り合い 「でっしょおぉぉぉぉぉ~~~!?」
おっさん 「?????」
一瞬意味が判らなかったのですが。あ、そう言えばこの人は嫌煙家だったな。
吸わない人の典型的思考回路ですね。「だから禁煙しなさい」と。
典型的な「吸う人」の思考回路はと言うと、
「な~んだ、煙草吸ってても、普通に暮らすのに支障ない程度にそこそこ健康で居られるんじゃないか、じゃ、『煙草を吸うと人生崩壊する』かの様なあの禁煙の煽りは何なんだ?ジブリアニメへの苦情とかにしても?」
ま、フランスにもモンスター嫌煙家は居ますけど、まだまだ日本よりも大らかです。
「そんな事言って、そのうち分るわよ」という声が聞こえて来そうですが、仰る通り。ご期待の通り(ホント、モンスター嫌煙家って、喫煙者が肺癌になるのを『期待してる』としか思えない)肺癌になるかも知れないし、肺癌になる前に他の病気になったり、ひょっとしたら車に轢かれて死ぬかも知れない。
ま、どっちにしろ。先の事は誰にも分らない。
そう言えば、嘗て人類最長寿記録保持者だった泉重千代翁がお医者さんに勧められて禁煙したのは108歳の時でしたなぁ。とは言え重千代翁の生年には異論もありますが。それを差し引いたって93歳だろ?
自分がそこまで長生きするとは思ってませんけどね。あ、でも一番下の子が成人するところと、孫の顔は見たいかな。
禁煙ファッショの話など始めるとキリが無いのでね。この辺にしといて、ここまでが「前回の」健康診断の話。で、「今回の」診断でも特に問題無し。
今回の診断で言われたのは唯一、
「あんた、いい加減老眼鏡かけなさい」
でした。
で、細かい字を見る時の、焦点距離と腕の長さの比率も限界に近づいてましたのでね、買いましたよ、老眼鏡。
おお、手元の細かい文字だけじゃなく、周り中全ての物が大きく見える(当たり前だ)。うっかり老眼鏡をかけたまま細かい文字から目を上げて前を見たりすると…乗り物酔いの時の様な吐き気がしますな。
それはさて置き、そう、大きく見える。という事はこれは凸レンズ、虫眼鏡と同じですね。
子供の頃やりませんでした?虫眼鏡で太陽光を集めて紙を焦がす、あれ。
虫眼鏡で板を焦がして絵を描くアートも見た事ありますし。
車のフロントガラスに貼り付けた吸盤や、窓辺に置いた金魚鉢がレンズの役目をして、太陽光を集めて火事になった話とか。
消防署員 「火事の原因に心当たりはありませんか?」
おっさん 「そういえば…老眼鏡を家に置き忘れて…あっ、窓辺に置いてあったかも…」
などという事は果たして有り得るのか?
試してみれば良いんですねぇ、いや、別に面白がってる訳じゃなくて、知っといた方が安心じゃないですか。幸い今日は天気も良いし。それでは早速。
黒い文字に焦点を合わせます。ふむ、虫眼鏡で集めた太陽光の焦点よりも、だいぶ大きい光の玉ですな。実際、虫眼鏡の場合の様にみるみる焦げて煙が出て来る、という訳ではないらしい。
それでもやっぱり「心配なので」、焦点を合わせ続ける事10分程。やっぱり燃え出す気配は無い。
ま、これだけ焦点を合わせ続けても焦げないんだから、火事になる前に太陽が傾いてしまうだろう、つまり「老眼鏡火災」の心配は無いという事でしょう。「素朴な疑問」が一つ解消されてすっきりしましたねぇ。 と思いきや、紙の裏側を見ると…
焦げてた。火事になる程ではないにしろ、やっぱり凸レンズ、紙をうっすらと焦がす位はできるんですね。例えば、紙の質なんかによっても燃え易いのと燃えにくいのとあるかも知れないし、これが紙でなくてビニールやプラスティックだったりするともっと燃え易いかも知れない。 という訳で、「老眼鏡火災」は、まず無いとは思うけれど、絶対に有り得ないとも言い切れないという結論に達したのでありました。
… 久々の更新だというのに、何やってんだか、全く。 …
ともあれご同輩。老眼鏡の扱いには注意致しましょう。
ここまで書いて、「一服しに」中庭に出たら、「夏の大三角形」と北極星が見えまして。
エッフェル塔の近く、シャン・ド・マルス公園に行くと、周りに高い建物が無くて街灯とかも少ないので、冬ならオリオンが、今の時期なら白鳥座・織姫・彦星(これが「夏の大三角形」ですね)がよく見えます。
カシオペアと北斗七星は年間通して見られます。今の時期は夜11時頃、丁度北斗七星がエッフェル塔に架かって見えます。
死兆星は…
見える訳ねーだろ。
五月病ならぬ三月病とでも名付けようか。
てな訳で久々の更新。
ま、「三月病」はさて置いて、健康状態の方は至って普通なおっさんであります。先日(と言ったって数ヶ月前だ)の健康診断でも何ともなかったしね。
前回の健康診断ではお医者さんから「あんたはあと禁煙だけすれば完璧よ」と言われまして。
で、そんな話をしたら、
ある知り合い 「でっしょおぉぉぉぉぉ~~~!?」
おっさん 「?????」
一瞬意味が判らなかったのですが。あ、そう言えばこの人は嫌煙家だったな。
吸わない人の典型的思考回路ですね。「だから禁煙しなさい」と。
典型的な「吸う人」の思考回路はと言うと、
「な~んだ、煙草吸ってても、普通に暮らすのに支障ない程度にそこそこ健康で居られるんじゃないか、じゃ、『煙草を吸うと人生崩壊する』かの様なあの禁煙の煽りは何なんだ?ジブリアニメへの苦情とかにしても?」
ま、フランスにもモンスター嫌煙家は居ますけど、まだまだ日本よりも大らかです。
「そんな事言って、そのうち分るわよ」という声が聞こえて来そうですが、仰る通り。ご期待の通り(ホント、モンスター嫌煙家って、喫煙者が肺癌になるのを『期待してる』としか思えない)肺癌になるかも知れないし、肺癌になる前に他の病気になったり、ひょっとしたら車に轢かれて死ぬかも知れない。
ま、どっちにしろ。先の事は誰にも分らない。
そう言えば、嘗て人類最長寿記録保持者だった泉重千代翁がお医者さんに勧められて禁煙したのは108歳の時でしたなぁ。とは言え重千代翁の生年には異論もありますが。それを差し引いたって93歳だろ?
自分がそこまで長生きするとは思ってませんけどね。あ、でも一番下の子が成人するところと、孫の顔は見たいかな。
禁煙ファッショの話など始めるとキリが無いのでね。この辺にしといて、ここまでが「前回の」健康診断の話。で、「今回の」診断でも特に問題無し。
今回の診断で言われたのは唯一、
「あんた、いい加減老眼鏡かけなさい」
でした。
で、細かい字を見る時の、焦点距離と腕の長さの比率も限界に近づいてましたのでね、買いましたよ、老眼鏡。
おお、手元の細かい文字だけじゃなく、周り中全ての物が大きく見える(当たり前だ)。うっかり老眼鏡をかけたまま細かい文字から目を上げて前を見たりすると…乗り物酔いの時の様な吐き気がしますな。
それはさて置き、そう、大きく見える。という事はこれは凸レンズ、虫眼鏡と同じですね。
子供の頃やりませんでした?虫眼鏡で太陽光を集めて紙を焦がす、あれ。
虫眼鏡で板を焦がして絵を描くアートも見た事ありますし。
車のフロントガラスに貼り付けた吸盤や、窓辺に置いた金魚鉢がレンズの役目をして、太陽光を集めて火事になった話とか。
消防署員 「火事の原因に心当たりはありませんか?」
おっさん 「そういえば…老眼鏡を家に置き忘れて…あっ、窓辺に置いてあったかも…」
などという事は果たして有り得るのか?
試してみれば良いんですねぇ、いや、別に面白がってる訳じゃなくて、知っといた方が安心じゃないですか。幸い今日は天気も良いし。それでは早速。
黒い文字に焦点を合わせます。ふむ、虫眼鏡で集めた太陽光の焦点よりも、だいぶ大きい光の玉ですな。実際、虫眼鏡の場合の様にみるみる焦げて煙が出て来る、という訳ではないらしい。
それでもやっぱり「心配なので」、焦点を合わせ続ける事10分程。やっぱり燃え出す気配は無い。
ま、これだけ焦点を合わせ続けても焦げないんだから、火事になる前に太陽が傾いてしまうだろう、つまり「老眼鏡火災」の心配は無いという事でしょう。「素朴な疑問」が一つ解消されてすっきりしましたねぇ。 と思いきや、紙の裏側を見ると…
焦げてた。火事になる程ではないにしろ、やっぱり凸レンズ、紙をうっすらと焦がす位はできるんですね。例えば、紙の質なんかによっても燃え易いのと燃えにくいのとあるかも知れないし、これが紙でなくてビニールやプラスティックだったりするともっと燃え易いかも知れない。 という訳で、「老眼鏡火災」は、まず無いとは思うけれど、絶対に有り得ないとも言い切れないという結論に達したのでありました。
… 久々の更新だというのに、何やってんだか、全く。 …
ともあれご同輩。老眼鏡の扱いには注意致しましょう。
ここまで書いて、「一服しに」中庭に出たら、「夏の大三角形」と北極星が見えまして。
エッフェル塔の近く、シャン・ド・マルス公園に行くと、周りに高い建物が無くて街灯とかも少ないので、冬ならオリオンが、今の時期なら白鳥座・織姫・彦星(これが「夏の大三角形」ですね)がよく見えます。
カシオペアと北斗七星は年間通して見られます。今の時期は夜11時頃、丁度北斗七星がエッフェル塔に架かって見えます。
死兆星は…
見える訳ねーだろ。
2013年2月14日木曜日
いや、別に催促してる訳じゃなくて。
バレンタインですねぇ。
以前家族と住んでた頃は、毎年バレンタイン・デーは家に帰ると家内がチョコレートケーキを焼いててくれて、おっさんはおっさんで花束を買って帰るのが恒例でしたなぁ。
まぁ、バレンタインに限らず、ホワイトデー、結婚記念日、家内の誕生日には花束位は買って帰りましたし、母の日は子供達に一本ずつ一輪挿しを買って行って、「ママに渡しておいで」なんてやったもんですが。
娘が反抗期(?)頃には「あんまり渡したくないけど…まぁ…はい」なんて言いながら家内に花を渡してた事もあったっけ。
で、まだ娘達が小さかった頃、バレンタインに花束を買って帰ったら、娘の一人が「ママだけずるい」とか言い出しまして。次の年からは家内に花束を、娘二人にそれぞれ一輪挿しを買って帰る様になりました。
で、その後、息子も生まれたんですが、バレンタインに例年の様に花束と一輪挿しを買って帰り、家内に花束を、娘達に一輪挿しを渡したら、まだ小さかった息子が「あれ?僕には何もないの?」みたいな、キョトンとしたというか何かすごく失望したみたいな顔をしてて、家内が慌てて「今日は女の子にプレゼントする日だから…」とかフォローしてまして。そうか、お菓子か玩具くらい買っといてやれば良かったかな。
で、ある年のバレンタインデーに、普段の年とちょっと違う花を買って帰った事がありまして。「食べられる花」です。
いや、この花束を買って行った訳じゃありませんよ。その時は確か砂糖菓子細工の一輪挿しみたいなのを買いました。
このお菓子のブーケは「Fleuriste du Chocolat」さんのものでして、店名を直訳すれば「チョコレートの花屋さん」ということになりますね。チョコレートに限らずドラジェ(結婚式のお祝いなんかに使う砂糖菓子)とかキャンディとかマジパン(アーモンド粉と砂糖を混ぜて練ったもの)等、いろんなお菓子で作ったブーケがあります。
デザイン上の著作権というか、制限みたいなものの関係で、店内の画像は載せられませんので、外観だけ。上のブーケの写真もお店のカードに使われてるものですし。
ブーケを芸術作品さながらにキャンバスに貼り付けたのなんか、これ、貰っても食べられないよなぁ、なんて思っちゃいます。
芸術的なブーケの数々はこちらで。
http://www.lafleuristeduchocolat.net/
今回はこんなのを買いました。チョコレートのiPhone。
プレゼント用には最適ですねぇ。
ところで、ご存知の通り、バレンタインデーが、女性から男性へチョコレートを贈る「告白の日」なのは日本だけですね。義理チョコってのも日本だけの習慣でしょうね。ホワイトデーもそうですが。
ローマ帝国時代、兵士が恋人や妻子を持つと心置きなく戦う事ができなくなるので、皇帝クラウディウス2世は兵士の婚姻を禁じていました。キリスト教の司祭聖バレンタイン(ラテン語読みならワレンティヌス)は皇帝の命に背いて兵士達を結婚させたので、皇帝の怒りに触れ、処刑されたのですね。
ここから聖バレンタインが処刑された二月十四日は恋人達の祭日となり、欧米一般では男性から女性へプレゼントを贈るようになったんですが、日本だけは何故か女性からの「告白の日」になってる訳ですね。製菓会社のキャンペーンに乗せられたというのが大低の人の見解ですが。
「恵方巻き」も主に関西以西の幾つかの地方に伝えられていたマイナーな習慣だったそうですね。それを大阪の寿司関係の組合の方が、「『土用の丑の日』と言えば『鰻』と決まっている様に、『節分』と言えば『恵方巻き』と決まっている」かの様に宣伝して販売促進キャンペーンを張ったのが、現在の「恵方巻き」の全国的な認知度の始まりなんだとか。
ま、「恵方巻き」の起源は大阪の旦那衆が花街で花魁さんに「黒くて太いものを咥えさせる」という色っぽい遊びだったなんていう説もありますが。それが起源なのか、元々あった「恵方巻き」の習慣を使って旦那衆がそういう遊び方をしたのか、鶏と卵みたいな話ですがね。
なんか話が落ちて来たな。この辺で止めとこう。
以前家族と住んでた頃は、毎年バレンタイン・デーは家に帰ると家内がチョコレートケーキを焼いててくれて、おっさんはおっさんで花束を買って帰るのが恒例でしたなぁ。
まぁ、バレンタインに限らず、ホワイトデー、結婚記念日、家内の誕生日には花束位は買って帰りましたし、母の日は子供達に一本ずつ一輪挿しを買って行って、「ママに渡しておいで」なんてやったもんですが。
娘が反抗期(?)頃には「あんまり渡したくないけど…まぁ…はい」なんて言いながら家内に花を渡してた事もあったっけ。
で、まだ娘達が小さかった頃、バレンタインに花束を買って帰ったら、娘の一人が「ママだけずるい」とか言い出しまして。次の年からは家内に花束を、娘二人にそれぞれ一輪挿しを買って帰る様になりました。
で、その後、息子も生まれたんですが、バレンタインに例年の様に花束と一輪挿しを買って帰り、家内に花束を、娘達に一輪挿しを渡したら、まだ小さかった息子が「あれ?僕には何もないの?」みたいな、キョトンとしたというか何かすごく失望したみたいな顔をしてて、家内が慌てて「今日は女の子にプレゼントする日だから…」とかフォローしてまして。そうか、お菓子か玩具くらい買っといてやれば良かったかな。
で、ある年のバレンタインデーに、普段の年とちょっと違う花を買って帰った事がありまして。「食べられる花」です。
いや、この花束を買って行った訳じゃありませんよ。その時は確か砂糖菓子細工の一輪挿しみたいなのを買いました。
このお菓子のブーケは「Fleuriste du Chocolat」さんのものでして、店名を直訳すれば「チョコレートの花屋さん」ということになりますね。チョコレートに限らずドラジェ(結婚式のお祝いなんかに使う砂糖菓子)とかキャンディとかマジパン(アーモンド粉と砂糖を混ぜて練ったもの)等、いろんなお菓子で作ったブーケがあります。
デザイン上の著作権というか、制限みたいなものの関係で、店内の画像は載せられませんので、外観だけ。上のブーケの写真もお店のカードに使われてるものですし。
ブーケを芸術作品さながらにキャンバスに貼り付けたのなんか、これ、貰っても食べられないよなぁ、なんて思っちゃいます。
芸術的なブーケの数々はこちらで。
http://www.lafleuristeduchocolat.net/
今回はこんなのを買いました。チョコレートのiPhone。
プレゼント用には最適ですねぇ。
ところで、ご存知の通り、バレンタインデーが、女性から男性へチョコレートを贈る「告白の日」なのは日本だけですね。義理チョコってのも日本だけの習慣でしょうね。ホワイトデーもそうですが。
ローマ帝国時代、兵士が恋人や妻子を持つと心置きなく戦う事ができなくなるので、皇帝クラウディウス2世は兵士の婚姻を禁じていました。キリスト教の司祭聖バレンタイン(ラテン語読みならワレンティヌス)は皇帝の命に背いて兵士達を結婚させたので、皇帝の怒りに触れ、処刑されたのですね。
ここから聖バレンタインが処刑された二月十四日は恋人達の祭日となり、欧米一般では男性から女性へプレゼントを贈るようになったんですが、日本だけは何故か女性からの「告白の日」になってる訳ですね。製菓会社のキャンペーンに乗せられたというのが大低の人の見解ですが。
「恵方巻き」も主に関西以西の幾つかの地方に伝えられていたマイナーな習慣だったそうですね。それを大阪の寿司関係の組合の方が、「『土用の丑の日』と言えば『鰻』と決まっている様に、『節分』と言えば『恵方巻き』と決まっている」かの様に宣伝して販売促進キャンペーンを張ったのが、現在の「恵方巻き」の全国的な認知度の始まりなんだとか。
ま、「恵方巻き」の起源は大阪の旦那衆が花街で花魁さんに「黒くて太いものを咥えさせる」という色っぽい遊びだったなんていう説もありますが。それが起源なのか、元々あった「恵方巻き」の習慣を使って旦那衆がそういう遊び方をしたのか、鶏と卵みたいな話ですがね。
なんか話が落ちて来たな。この辺で止めとこう。
2013年2月9日土曜日
明けましておめでとうございます。
明日が中国の(旧暦の)新年ですね。
パリのチャイナ・タウンも新年飾りです。
チャイナタウンがあるパリ南東の13区の区役所も新年飾り&新年用品市?キリスト教国のクリスマス市みたいなもんでしょうかね。
チャイナタウンの中でも最大手のスーパー「Tang Freres」(陳氏超級商場)さんも新年飾り。
こっちはチャイナタウン No2になりますかね、パリ・ストアーさんの飾り。
パリ13区の区役所があるイタリー広場付近では、明日新年のパレードがある訳ですがね。残念ながら明日は仕事で行けませんが。
中国の新年というと、やっぱりあのドラゴンが練り歩く、あれですね。長いドラゴンの所々に棒をつけ、その棒でドラゴンを操りながら行進する奴。
何年か前の事でしたが、パリで「鯉のぼり祭り」とか言うのが催されまして。とは言ってもパリの町中の旗竿に鯉のぼりを取り付ける訳にも行きませんので、この中国のドラゴンと同じやり方で、鯉のぼりを操って練り歩いたそうですが。
何も知らないパリの人々は、きっとあれが「鯉のぼり」という物だと勘違いしちゃったでしょうね、きっと。
んー、ドラゴンのパレード、見に行きたかったんだがな。来年までお預けか。
パリのチャイナ・タウンも新年飾りです。
チャイナタウンがあるパリ南東の13区の区役所も新年飾り&新年用品市?キリスト教国のクリスマス市みたいなもんでしょうかね。
こっちはチャイナタウン No2になりますかね、パリ・ストアーさんの飾り。
パリ13区の区役所があるイタリー広場付近では、明日新年のパレードがある訳ですがね。残念ながら明日は仕事で行けませんが。
中国の新年というと、やっぱりあのドラゴンが練り歩く、あれですね。長いドラゴンの所々に棒をつけ、その棒でドラゴンを操りながら行進する奴。
何年か前の事でしたが、パリで「鯉のぼり祭り」とか言うのが催されまして。とは言ってもパリの町中の旗竿に鯉のぼりを取り付ける訳にも行きませんので、この中国のドラゴンと同じやり方で、鯉のぼりを操って練り歩いたそうですが。
何も知らないパリの人々は、きっとあれが「鯉のぼり」という物だと勘違いしちゃったでしょうね、きっと。
んー、ドラゴンのパレード、見に行きたかったんだがな。来年までお預けか。
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