第二次世界大戦後、戦災によって荒れ、疲弊したヨーロッパを救う為に、アメリカのジョージ・マーシャル国務長官は俗に言う「マーシャル・プラン」を提唱しました。そしてマーシャル長官はノーベル平和賞を授与される訳です。で、このマーシャル長官の言葉として伝えられているのが、結婚式のスピーチに使われる「凧と尻尾の譬え」ですね。
おっさんの父親も、どなたかの結婚式でこのスピーチをしたらしいですが、内容は
「尻尾が凧本体とちゃんと調和していなければ凧は上がらない、夫婦も夫と妻が調和していなければ」というものですね。一般には「新郎という凧が社会という空に上がって行けるかどうかは、奥さん、尻尾である貴女にかかっているんですよ」みたいな使い方が多かった様で、女性が強くなった現在では、「私は尻尾じゃない!」なんぞと怒られてしまうそうで、この「凧と尻尾の譬え」はあまり使われなくなって来たとか。
増して今時、尻尾を調整しなきゃ上がらない凧なんてよっぽどのマニアの方しか見る機会は無いんじゃないでしょうかね。
で、この続きのギャグがありまして、
奥さん「私は最高の尻尾だと思うんだけど、貴方という凧は何故一向に上がらないの?」
旦那 「風が無いからな。」
と、そういうオチです。
何でいきなりこういう話かというと、結婚記念日だからですよ。
ま、去年結婚記念日ネタを書いた時の家内の反応は
「そういえば結婚記念日って3月頃だっけ」
でしたからね。今年もまた期待に違わずボケてくれる事でしょう。
清水義範氏が「ことばの国」収録の「スピーチとスカートは」で、「結婚式のスピーチでは夫婦を変な物に譬える」例として挙げているのは「お茶漬け」です。いや、直接お茶漬けとは書かれてはいませんが、「どんなおいしい料理でも毎日食べ続けると飽きて来ます…って、結婚式のスピーチでそんな事を言っちゃまずいだろ」という様な事が書かれております。
これは手元にある「講談社 日本語大辞典」の巻末のスピーチの例文集にも出ておりまして、元宮内庁侍従長入江相政氏のスピーチからの引用として、
「(前略)本日のメニューを拝見しますと大変な御馳走でございます。(中略)しかし、この御馳走も二度三度続けていたら多分飽きてしまい、きっとお茶漬けがほしくなるでしょう。夫婦とはお茶漬けの味であります。(後略)」
とあります。
これにはまた元ネタがありまして、斉藤緑雨が萬朝報や読売新聞に書いた警語に収められていますが、緑雨酔客が友人の結婚式で行ったスピーチから取った物ですね。まぁ、このスピーチでは「夫婦とは」ではなく「妻とは」お茶漬けであると言ってます。曰く「味醂鰹節は一時也、茶漬は永遠也」と。それこそまずいだろ。
このスピーチは他にも「妻に全きを求むるは夫の非道也、夫をして飢えざらしむれば妻の務めは終れる也」とか、今では考えられない、やはり明治という時代でなければ発せられなかったであろう言葉が満載ですけどね。
「緑雨警語」中野三敏 冨山房百科文庫、面白いですよー。
で、おっさんは結婚を何に譬えるかといえば、「巣」じゃないかと思う訳ですね、これが。
自分の占めるべき場所、帰るべき場所。(ガンダムも、ガンタンクも、ガンキャノンも、それぞれ別個に作戦行動をしても、必ずホワイトベースに帰還する訳ですな。或いは「科学忍者隊ガッチャマン」のゴッドフェニックス、はたまた「サンダーバード」のトレイシー・アイランドと言おうか。)
新婚家庭の事を俗に「愛の巣」なんぞと申しますが、その「巣」にもいつか、雛鳥が口を開けてピーピー言って待つ様になり、やがて雛鳥も巣立つんですね。
そうなるまでにはまだまだ時間がかかるけど。
緑雨酔客の「味醂鰹節は一時也」じゃありませんが、「取りあえず結婚とは『巣』であると言っておけば、今後万一『何か』あったとしても、『巣に帰る鳥が途中の小枝で羽根を休めただけだ』と言い訳できるかな」なんて事は別に考えてませんからね。うん。
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