トヨエツ信長も2月6日放送分(でしたっけ?)で死んじゃいましたねぇ。
信長は「尾張の大うつけ」でしたが。「うつけ」とは「虚」と書いて、(やっぱりホロウとか読みたくなりません?)文字通り虚ろであること、つまり中身が無い、アタマ空っぽ、的な意味で馬鹿の事を表わすんだそうですが。
もう一つ馬鹿を意味する言葉に「たわけ」がありますね。漢字で書けば「戯け」。これは馬鹿な事を言う、馬鹿な事をするという意味の「たはく」という言葉から、馬鹿な事を言ったりしたりする人を「たはけ」と言ったのが語源とか。
この「たわけ」にはもう一つ語源説がありますね。俗にそう言われているというだけで、正しくは無いんだそうですが、「田分け」という説。
日本は昔、長子相続制でしたね。長男が次期家長としてすべてを受け継いだ訳ですが、例えば複数の子供達に資産を分配して相続させるとどうなるでしょう?平等ではありますが、問題が起きますね。一族の勢力が分散してしまい、相対的に力が弱まってしまいます。増してその一族が一致団結すればまだしも、対立なんかしたら共倒れの可能性もあります。
一族の団結を乱し、力を分散させて弱めてしまう様な馬鹿な事、「田」つまり「土地」を「分けて」相続するような事をする人を「田分け」と言ったのだと。
語源としては正しくないとしても、意味の上ではナルホド、ですね。
そして、これはフランスの素であるフランク王国に起こった事でもあったのですね。フランス人の御先祖様のひとつであるフランク族をはじめとするゲルマン系の法律は分割相続制でした。「馬鹿な事」であるとは思いませんが、ゲルマン法の弱点には違い無いですね。
511年、フランク王国初代国王クロヴィスが亡くなると領土はテウデリヒ、クロドメル、ヒルデベルト(サンジェルマン・デ・プレ教会のもとになる修道院を創った王様ですね)、クロタールに分割相続されました。この時はほかの兄弟が次々と死んでしまい、クロタールの下、再統一されました。そのクロタールが死ぬと、また四兄弟に分割相続、王族同士の抗争や暗殺が続き、この混乱に乗じて豪族が力を増し、実権は宮宰(首相兼財務相、といった所でしょうか)に握られてしまいます。この宮宰であったカール・マルテルが741年に死ぬと、また三兄弟によって(今度は領土ではなく宮宰としての支配地域ですが)分割相続、末弟グリッポンは暗殺され、長兄カールマンが引退した後に全権を握り、更にクーデターで王位に就いたのがピピン短躯王ですね。カロリング朝の開祖です。
ピピンの息子、カールが、日本で言う「カール大帝」、フランス語でいう「シャルルマーニュ」(ノートルダム寺院の前に銅像がたってます)ですね。フランク王国を国力も領土も最大にしたこの王様には三人の王子がありましたが、次男ピピン、長男カールと相次いで亡くなり、残った三男ルイとそのまた三人の王子達の間でさらに揉めた後、843年ヴェルダン条約、870年メルセン条約を経て、現在のフランス・ドイツ・北イタリアの素になる境界が定められますね。
さて、もしもカール大帝のフランク王国が分裂しなかったら、現在の西ヨーロパは一体どんな様子になっていたんでしょうねぇ。
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